つまるところ、ライターになりたい
おかしい!!
世の中にはままならないことが多すぎる。
一体全体なんだって私は毎日こんなに腹を立てて生きていかねばならんのだ。そんな思いを抱えて、生まれて初めてnoteに投稿する。
ただただ徒然なるままに自分の身近な怒りだの夢()だの自己啓発だのをめちゃくちゃに書き殴っただけなので、鼻で笑いながら生暖かい目で読んでくれると、うれしい。
現在、大学3年生。
夏休みを目前に周りは少しずつ就活のことを考え始め、焦りが見えてくる季節。チンケなプライドとゴミみたいな虚栄心を持ったまま努力も才能もなく、人として生きていく資格もない私は漠然と、
「働きたくねぇな」
などと、そんな思いを考えていた。
だって、自分が社会で生きていけるとは到底思えない。
この二十年間、どこの団体に入ってもいわゆる「嫌われポジション」を課せられ、勉強こそできたけれど要領は悪く、運動神経が皆無に近いために状況を判断して動くなんて全くできないし、トロくて鈍いゆえにミスや忘れ物や無くし物も多く、時間も守れない社会不適合っぷり。
何事も続かなくてバイトは半年経つ前には辞めてしまうし、二ヶ月前にうっかり働き始めたカフェでは私の代わりはいくらでもいるし、なんなら私がいなくても職場は回る。
そもそも人に愛想を振りまいて笑顔で接客することも臨機応変に場の空気を読んで対応、なんてのも、どう考えても私には不可能の技だし、とにかく働きたくない私は、気がつけばトイレ掃除か、誰かの入れたお客様に「お足元お気をつけください〜」と声をかけるか、空っぽのコップに水を入れる、くらいの雑用に徹し、非常に非生産的で成長のない日々を送っていた。
そして先日、自分の名札が紛失したことによりバイト先でのアイデンティティを完全に失った私は、はっきりと決意した。
よし、辞めよう!
これはバイトだけの話ではない。
バイトも、就職活動も、サークル含めた団体行動も、この俗世は私が普通に生きて行くには厳しすぎる。
だがしかし、そんな甘えたことも言ってられない。生きていけば必ず働かねばならぬ日は来る。
私は何になりたいのか?
そもそも私に出来る仕事はあるのか?
そして大学に入ってからこういう考えを巡らせるとき、私が至る結論はいつだってひとつだ。
「書きたい」
何かを書きたいという夢がなんとなく心に浮かぶようになってきたのは、大学二年生の頃だ。
小説家になりたい、とか、ジャーナリストになりたい、だとか、そんな具体的な夢を抱えているわけじゃない。
ただ、書きたい。
物語であれ、随筆であれ、文章を書いている間は自分はこの腐れ切った理解不能な冷たい世界から救われている気がする。
そんな漠然とした夢とも呼べぬ欲望だけがあった。
というわけで、ライターになりたい!
そんなぽわけて非現実的な発想が頭を占めるようになったのも、割と最近だ。
だが、いかんせん大学生になっても母親のおっぱいを吸って育ったと言っても信じてもらえそうなほど、この20年間、人に甘えて生きてきた私だ。一体全体、何から始めたらいいのか分からない。
ライターでのバイトをしたこともあったし、授業で小さな冊子を作ったり雑誌の記事を書いたりしたこともあったが、ライターでのバイトはお金の問題で続けることができず、授業では評価されてもそこで世界が完結していて、世の中に自分の文章を出す、という行動的なことは何一つしてこなかった。
「とにかく書いてみればいいじゃん」
と、無責任に人は言う。
「とにかく」ってなんだ?
何を、どこに、誰に向けて、どうやって書けばいいんだ。
私の文章を理解してくれる人が一体どこにいるというのだ。
というわけで、先輩から紹介されたライターのインターンに応募すべく面接に向かい、今までに私が書いた文章を提出した。そして、そこで書く記事をひとつ試しに書かせていただくこととなった。その際、過去に書いたものをいたく気に入ってもらえたので、私は少し慢心していた。
(ちなみにこのとき提出したのは私が昔書いた「まずいラーメンを批評する」というものだ。機会があればいずれネット上に出すつもりである。)
それが、二ヶ月前のことだ。だが、記事を書いても二ヶ月間音沙汰がなかった。諦めた方が早かったのだが、どうしても自由に記事が書けそうなその場所で働きたいという気持ちがあったため、社長に連絡をとって、再度会っていただけないかとのお願いをした。
そして昨日。
私の家から40分ほどかけて、秋葉原駅にあるオフィスに向かう。どことなく慢心した虚栄心が、会いに行けば採用してもらえるやろ!(笑)みたいな根拠の無い自信を生み出していた。
そして社長と久しぶりにお会いし、喫茶店に向かう。持ち前の人見知りのせいで少し緊張し体は強ばっているが、社長と向き合って座った。
(かなり端折るし、どこの会社かも伏せよう。だが、この日、私は社長から本当に素晴らしいアドバイスをいただけたことは前置いておきたい。)
社長は私に尋ねる。
「今回、自分で記事書いてみて、どう思った?」
社長に聞かれ、戸惑う。
「どう、とは。」
あまり良い予感がしなかった。
「君の記事を読んだとき、とても良い文章だと思った。技術もあるし素晴らしい。」
なるほど。
「だけど、君の過去に書いたものを読んだとき、君の文章には闇があった。
今回の記事では、君は綺麗なものしか書こうとしてないでしょ。自分が書きたいように書いた?」
腹の脂肪が乗った辺りを拳で殴られたような、にぶーい痛みが体を包んだ。
「書いて……ないです……」
彼の言いたいことが、私にははっきりと分かった。
今回記事を書くにあたり、私は先輩の文章を思いっきり模倣した。採用されたい一心で、そのサイトがいちばん求めてそうな文体を研究し、いわゆる「テスト対策」みたいな文章を書いてしまったのだ。
「あ、これ私じゃなくても書けるな」と思ったことも、「これは私の書いた文章じゃないな」と感じた違和感も、社長に言われる前から、いや、書き終えた瞬間から、薄々抱き続けていたものであった。
社長はそんな私の姑息な手段も、感じていることも、全てお見通しであった。
働く大人を馬鹿にしていたな、とこのとき軽い自己嫌悪に陥った。社長は続ける。
「君が書きたいことは何?何が書きたいの?」
さすがは元リクルート社員。質問の仕方が非常に自己啓発的である。
完全に言葉に詰まってしまった。
分かっている。私の書きたい文章は、何かを褒めたたえたり、素敵な部分だけを光らせて良さを紹介するような美しいものじゃない。もっと皮肉めいて、ひねくれて、意地悪で、攻撃的で、対象の嫌な部分を描き出して、それでいて根っこに愛を感じさせる。そんな場末のバーに住みついたママの暴言みたいな文章だ。
だが、そんな文章をどこで書かせてくれるというのだ。
どこのメディアだって大学生を安価な労働力として扱い、広告料を稼ぐためだけに誰にでも書けるようなつまらん文章を大学生に書かせている。就職のためにインターンで経験積んどこ!などと思っている甘い若者はそこで消費させられ、何の技術も身につかないまま他人に媚びる文章を書くスキルだけを身につけて、若者は世の中に放り出される。
だが、その会社だけは違うと思った。
確かに賃金こそ安かったが、学生が成長することを考え、有意義な時間を過ごさせてくれるし、広告などの目的を一切持たない純粋な記事を書かせてくれる。
そんな誠実な会社だと思っていた。なのに、あろうことか私は結局他人のモノマネをし、会社に取り入る文章を書こうなど、素敵な御社サマに対して不誠実極まりない態度を取ってしまったのだ。それがありありと分かり、また自己嫌悪に陥った。
ぐぅの音も出ないまま、俯いて社長のありがたいお説教に耳を傾ける。
「この会社でメディアを書くことに関しては、君の文章は全く問題ないと思うよ。でも、うちの会社はインターン生を利用してメディアを伸ばすことを目標としてるんじゃなくて、インターン生がちゃんと成長できるような場を与えたいと思っている。」
よく分かっている。
「君が今やるべきことって、完璧な文章を書くことじゃなくて、みっともなくても自分の書きたいことを書いて良さを伸ばすことなんじゃないの。」
一文字たがわずその通りである。
「うちで働くことが君の成長や、君の良さを伸ばすことに繋げられるかどうかは、正直僕には判断しかねる。働くか、他のメディアを探すか、どうするか決まったら連絡しておいで。」
うなだれてしまった。
そりゃ最初は「ここで働かせてください!」
くらいの心意気で向かった面接だ。
だが、そこまで言われてしまうと、自分でもめっきり、自信がなくなってしまう。
ここで働きたい意思はあったけれど、もう一度記事を書いてもまた二の舞のつまらない凡庸な記事になってしまうのではないか。そんな不安が渦巻いて、「働きたい!」という言葉を言えないまま、黙り込んでしまった。
「不採用なら不採用と…はっきり言っておくれよ……」というやり場のない悲しみが、脳内を支配していた。
社長に礼を告げて席を立ち、ギラついた秋葉原の街を歩きながら、悲しみを超えて怒りがこみ上げてきた。
社長に対する怒りではない。結局他人に媚びるようなことしかできず、自分の欲望と向き合ってこなかった、私自身に対する怒りだ。
車道には「アニメ、ゲーム、二次元規制反対!」と書いた選挙カーが、ボカロの声で議員のイメージソングを作って流している。さすがにこの街に媚びすぎだろ、と思い、また理不尽な怒りがこみ上げてくる。
「君は何が書きたい?」
社長から言われた言葉が、脳内をこだましていた。
「闇がある」「シニカル」「良い意味でだらしない」
私の文章を批判するとき、人は大体そういった否定的な言葉を使う。
社長にも、
「文章に闇がある。文章で食っていける人ってのは闇があるんだよ。それが君の良さだよ。」
という内容のことは言っていただいた。
それは大体理解できる。
元来このねじ曲がった性格ゆえに、美しく純粋な世界だけをキラキラと書き起こすなんて、性分に合わない。本音では私は人を、社会を、けちょんけちょんに貶したいし、世の中に対する怒りだの嘲笑だのを自虐的に抱いていたいし、その上でやはりこの世界はなんだかんだ美しいという諦めも、この世界に生まれてしまった不運な人たちへの愛情も、持っていたい。そして、それを、コトバ、というものを使って表現していたい。
面接を終え、秋葉原のやたらと輝いた広がる街を歩きながら、一人そんなことを考えていた。
だが、私には書ける場所がないのだ。
どこのメディアだったら私を受け入れてくれる?
どこのメディアなら、私は怒りを、愛を発散できる?
ツイッターか?誰も見やしない140文字の短い呟きを毎日繰り返して、
「痛いこと言ってやがるぜ(笑)」
と言われ続けることが私の人生か?
何も書けないと思った。どこにも書けないと思った。
「とりあえず書いてみればいいじゃん」
と人は言った。
無責任なことを言うな、と私は憤る。
だが、書かなくては何も始まらない。
別に誰に見てもらわなくてもいい。お金にならなくてもいい。ただ私はこの湧き上がった怒りだとか悲しみだとかそういう寒いものを、ぎりぎりと発信させて、インターネットの中に埋もれさせていきたい。それをなんとなく続けたいし、あわよくばどこかで日の目を見たい。そんな思いから、なんとなくnoteに登録し、この文章を大した推敲もせずに勢いで書き殴った。
まさかそんな人はいないと思うが、この駄文をここまで読んでくれた、暇で暇で仕方のない人、君の貴重な時間をこんなにも非生産的で煩い文章に割いてくれて、本当にありがとう。もし将来私が何かしら人生で成功することがあれば、君に恩返しをしよう。まぁそんな日は来ないだろうけど。
長々とここまで駄文を吐き捨てていたが、結局私が言いたいことがあるとすれば、
もし何かしら私の文章と合いそうなメディアでライターを募集していたら、誰かが教えてくれると嬉しい。(完全に他力本願である。)
くらいのことだ。
多分これから私はちょくちょく思ったことをこのnoteに書き連ねるはずなので、そのときは鼻で笑いながら見流してくれ。
では、さらば。
オ…オ金……欲シイ……ケテ……助ケテ……