「街や村を、そして人生をリノベーションする男」 田中直史さんモトヤフインタビュー
-お名前をフルネームで教えてください。
田中直史と書いて「たなかなおぶみ」と読みます。
-おいくつですか。
現在49才になりました。
-お生まれはどちらですか、また現在どちらにお住まいですか。
生まれは新潟(数ヶ月)なのですが、親が転勤族でしたので、その後も転居していますし、チェコスロバキアのプラハにも幼稚園から小学3年生までの約3年弱住みました。当時のチェコスロバキアは東欧の社会主義圏でしたね。その後は大学卒業までは大阪です。
-これまでのプロフィールをご紹介ください。
最初は大手ゼネコンに勤務しました。仕事は総務部で大規模な工事現場のバックオフィスの総務、経理業務などでした。その後バリュークリックジャパンというインターネットメディアの会社でインターネット広告営業を経験して、20代後半にヤフージャパンに入社しました。
-ヤフーの在籍期間はいつでしたか?
2002年〜2009年までです。入社時の社員番号はだいたい600番台だったと思います。パラシオ青山が最初のオフィスでした。
-ヤフーに入ったきっかけは何でしたか?
ヤフーの前職はネット広告の営業だったのですが、商品としては欠陥のある商品で、営業が売れば売るほど謝罪もセットになっているような品質でした。営業が頭を下げて売っているような。そこで営業現場が労せずして売れる商品を企画したいと、当時インターネット広告で最大手の媒体者であったヤフーに移りました。新しい世界を見てみようと思ったのがきっかけですね。
-ヤフーでのお仕事はどんな内容でしたか?
広告の商品プランニングの仕事が約3年、人手が少なかった事もあり、当時のリスティング以外のほぼすべてのサービスの担当させていただきました。おかげさまで、社内の様々な部署の優秀な方々のお仕事を間近で見て関わる機会をいただきました。
その後メディア事業部に希望して部署異動しました。そこでは宮坂さんの傘下でヤフーニュースのビジネス開発(CP調達)などを担当しました。当時ヤフーニュース包囲網みたいなのがあって、それをどう戦略立てて回避していくかみたいな。M&A業務も経験できたのでよかったです。ニュースのコメントの許諾をとる交渉などもしていました。
そして次にPS本部の立ち上げメンバーに参画することになり、社外とのパートナーシップ関係を担当しました。各部署から人が集まって新しく作られた部署だったので色々と多様でしたし勉強になりました。
-ところで田中さんは「組長」という何か物騒なニックネームが付いているようですが、どうしてそうなったんですか?
このネーミングは当時ヤフースポーツのプロデューサーをされていた大先輩(今村さん)が付けてくれたのですが、なぜかヤフーを辞めてからも、ずっと「組長」で通っています。恐らく風貌からそう呼ばれるようになったのかもしれません。
-ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?
ヤフーは人材が豊富で、素晴らしい人が多かったという印象がとても強いですねー。あと何気にこんな私でも「仕組み化」とか、サービスをリリースするまでの「QA」とか「すごろく」とか「校正」とか各部署の緻密な積み上げ作業の上にサービスリリースが成りたっていて、当時は意識していませんでしたが、今も多少は肥やしになっている気がします。学びの宝庫の会社でしたね。
-ヤフー時代のエピソードやトピックはありますか?
いや、とくにないですね…
-辞めたから分かるヤフーの良さというものはありますか?
良い人が多いというのは大前提なのですが、それはそれとして、他もたくさんあって、話しきれないのですが、あえてひとつあげるとしたら、社内でサイト利用者のことをユーザーと呼ばずに「お客様」と呼ぶことを徹底していたことですね。そういったユーザーファーストの姿勢がヤフーの巨大なサービスの細部に宿っていたことがたくさんあった気がしています。あとインターネットが大好きな人が多かった事、部署にもよりますがエンジニアやデザイナーとの距離も近かったところ、そこも素晴らしいところでした。
-ネクストキャリアを選んだ決め手は何ですか?
ヤフー退職後は、お誘いがあり楽天に転職しました。
同じような規模感ながら、まったく違う組織やマネジメントのアプローチで成長している企業文化や組織をみて、学んでみたいと思い決めました。なんか学びばっかりがキーワードで出てきますね。
広告関係で新規事業のアドネットワーク事業の立ち上げを2年弱ほど担当し、兼務で引き継ぐことになったちょっとしたお荷物サービスのクローズも行って、諸々片付いたタイミングの2011年2月に楽天を退職して独立しました。組織に長くいると年齢とともに無能化していき、経験が陳腐化していく事に危機感を感じていて、会社に頼らずに生きていくサバイバル力を身につけたくなったのです。
-現在のお仕事は具体的にどんな内容でしょうか?
現在の起業した会社名は「ラストワンマイル」となっていますが、これは妻と食事中にブレストみたいになって決めたんです。マラソンが好きなこともあって、最後のワンマイルが勝負ということがネーミングのベースにはなっていますね。ビジョンは「あなたのあと一歩を応援する」です。
会社をつくる時に、ライスワーク(稼ぐための仕事)とライフワークの比率を時間で30:70か20:80くらいに切り分けて活動しようと決めていました。今まで随分と沢山の人に支えて頂くばかりの人生だったので、少しは人に分け与えられる側になろうと思いました。
ライフワークではアスリート支援とか障害者支援とか被災地支援とかをやってきていました。そのうちに挑戦し何かを始める人には「場所」が必要だなと気づくことが多くなり、場づくりをしていくようになりました。
肩書きはそうですね、名刺の肩書きも小規模でやっていて社長も代表もへったくれもないなと思っていて、ずっとつけていないんです。名刺にも記載していなかったのですが、あえて設定するとしたら2023〜2024年時点では「ローカルデザイナーあるいはリノベーション&シェアリングビジネスプロデューサー」とかでしょうかね。
事業の活動範囲はひっちゃかめっちゃかで、マラソンやスポーツ大会やアートフェスの企画運営から、被災地支援やライスワークの方は地方創生、本業?のIT系のビジネス開発やディレクター、コンサルと、シナジーも考えず、縁や直感のまま事業や仕事をしてきたのですが、こうして振り返ってみると、[場所や機会]を通じて[地域と都市]と[人]をつなぐ活動をしてきているようです。ジャンルはスポーツ、アート、リノベーション、場づくりとITですかね、自分でもよくわかってないです。
-現在の仕事の面白いところや素晴らしいところを教えて下さい。
ITの仕事でDX関連のお仕事もさせていただきつつ、書店と宿泊施設の経営、レンタルスペース・コワーキングスペースのオーナー、スポーツ大会の企画運営などを行っております。どれも自分がデザインして考えて企画して決定して進めていけるところが仕事の面白いところです。
2012年ごろにトップアスリート向けソーシャルファンディングサイト「ガッチャバック」を契機に白馬国際トレイルラン、Freeride World Tour Hakubaのボランティア統括、東北風土マラソン&フェスティバル実行委員、まつだいのトレイルラン大会「越後まつだい春の陣」など地域☓スポーツへの関わりも深くなっています。
そこにアート要素も加わってきていて大田区の京浜島の工場地帯で開催したクラフトワークアート×フェスの「鉄工島フェス」も開催もしました。思い出深いです。
運営しているスペースの方ですが、4拠点あります。
これまで、東京、長野県の白馬村、沖縄県石垣島でフルリノベーションによるシェアリングスペースを運営し、スペースマーケット社の利用者ランキングで1位、ベストホスピタリティ賞を獲得するなど評価を受けています。
SPACE1は東京・千駄ヶ谷の新国立競技場を窓から望むことができるロケーションのスペースで2016年に開設しました。前回の東京オリンピックが開催された1964年に建てられたビルの5階で、昭和の時代を日欧で活動された洋画家の方がもとの家主です。彼女が愛した古きよき欧州の趣きが感じられるクラシックなインテリアが特徴です。飲食店営業やイベントが可能な業務用キッチンも付いています。オリンピック期間中は世界内外のメディアが撮影に使ってくださいました。
ここは現在まさにサロンのようになっていて、各界の有名人の方から、アーティスト、ファッション関係、スポーツ関係、学生さんまでと多様な方々が集っています。また私個人も東日本大震災への継続的な支援活動をしていて、毎月11日に東北の食を提供するNPO団体の「きっかけ食堂」とも深く連携しています。ありがたいご縁です。
SPACE2はJR白馬駅から徒歩1分、ビル2階の1室にあるシェアスペースで2015年に開設しました。広さ約50㎡と壁一面の黒板が特長です。Wifi・電源完備。冬はスキーやジャンプ、夏はトレイルランニングと四季を通してスポーツを楽しめる白馬。スポーツイベント時の拠点としてもご利用いただくことがあり、Freeride World Tour Hakuba Japan開催時は欧州のインターネットテレビ局の中継ベースにもなりました。今は、私設の絵本図書館として転換すべく準備しています。NPOの活動拠点としても使われています。
SPACE3はzuppa石垣離島ターミナル前という場所で、友人と共同経営しています。石垣島の船の玄関口である離島ターミナルから徒歩5分。島民とビジターのためのキッチン付きイベントスペース、コワーキングスペースで2017年に開設しました。イベント利用やワーキングスペースとしての利用がされています。近隣に島の玄関口の離島ターミナル、ホテルや飲食店も多数あり便利な場所です。ここの場所のミッションは「島と内地の人をつなぐ接点になる」、で。この場所がきっかけで東京から移住した方も何名か生まれています。
SPACE4 はあとからもう少し詳しくお話ししますが「泊まれる古本屋さん」というスペースで古書店と宿泊施設とカフェ兼イベントスペースの複合施設です。この場所のミッションは「白馬に本のある風景を復活させる」です。ここは近年の私の場所づくりとローカルデザインの集大成みたいなものです。
このほかにもスポーツイベントの企画・運営やボランティアコミュニティの構築・運営も関わっていて、複数ありますが、関わってきた代表的なものだけ挙げますと
東北風土マラソン&フェスティバル(宮城県登米市)大会運営およびボランティアマネジメント
大会運営とボランティアマネジメント、マラソンコースのエイド企画と運営。2kmごとに東北全域の「うまいもの」をエイドとして提供してゴール後に日本酒が飲めるという、夢のような大会です。2015年に「観光王国みやぎおもてなし大賞・奨励賞」を「2015年度・グッドデザイン賞」2016年にスポーツ振興賞「観光庁長官賞」観光庁、スポーツ庁、文化庁の「スポーツ文化ツーリズムアワード」の「10選」2017年7月にはスポーツ振興「大賞」を受賞しました。今年も開催するのでぜひご参加ください!
越後まつだい春の陣(新潟県十日町市)
「アート×トレイルラン」というコンセプトの「越後まつだい春の陣トレイルランレース」、この地のアートと棚田と里山と人の魅力に惹かれて通い続けているうちに、友人や仲間が沢山出来て、気がついたらその土地で自らやりたかった世界観を具現化する大会を作り上げていく事が出来ました。
こちらも2023年の観光庁、スポーツ庁、文化庁の「スポーツ文化ツーリズムアワード」も受賞しました。今年も開催するのでぜひご参加ください!
Freeride World Tour Hakuba Japan(長野県北安曇郡白馬村)ボランティアマネジメント
雪山を山頂から山麓まで滑り降り、そのテクニックやスタイルを競うフリーライド競技。ワールドツアーの一戦を白馬にて初めて行った2016年とその翌年、大会運営ボランティアの組成と運営をラストワンマイルが担いました。世界各国から選手・関係者が集うグローバルな大会であり、レース実施が気象条件に左右されるうえ、開催期間が2週間ほどにわたる大会運営のボランティア配置はスポーツイベント運営のなかでも要員確保やメンバー間のノウハウ共有の難易度が高いものでした。大会受付、誘導、会場の設営、ライブ中継のサポート、機材チェックや資材運搬といった役割にボランティが活躍しました。
鉄工島フェス
大田区・京浜島の現役で稼働する鉄工所を舞台にした、“工場×アーティスト” をテーマに、多種多様なジャンルのライブや現代アートの展示を展開するフェスを実行委員メンバーとして一部企画、ボランティアマネジメントを行いました。沢山のアーティストやキューレーターと長く続く関係ができるきっかけとなりました。
-今、特に力を入れていることは何ですか?
先ほどすこし触れましたが、つい最近白馬駅から徒歩数分のところにあった旧福島書店(2014年閉業)のリノベーション事業で、1階を書店棚の個人オーナー持ち寄りの古本書店で、2階が宿泊スペースにしてセルフリノベで再生しました。2年間かかりました。
必要なものは自分で作るをモットーに、利活用の企画から、ビジネス計画、店舗のデザイン、意匠、コンセプト作り、資金集めまで、まさに解体から店舗運営までに至る一通りのプロセスをすべてやりました。個別の経験を縦軸で行なっている各種の専門家はたくさんいらっしゃるのですが、この一連のプロセスを横軸ですべて自分でやった人はあんまりいなくて、良い経験と学びになりました。
おかげさまで大変評価いただき、テレビ、新聞の主要メディアにも何回も記事にしていただきましてありがたい限りです。モトヤフの方にもボランティアにきていいただり、たくさん本棚の棚主になっていただいたりクラファンいただいたりと大変ご支援をいただきました。ありががとうございます。
現在、店舗と宿泊施設の経営を続けております。毎日が勉強ですねー。
また今取り組んでいるのは、新潟県まつだいにある古民家の再生プロジェクトです。その活用方法も仲間とともに作り上げていこうと思っています。まつだいに隣接する柿崎区下牧集落にはドイツ人のカールベンクスさんという建築デザイナーが手がけた再生古民家が点在しています。NHKの番組「カールさんとティーナさんの古民家村だより」で有名なエリアですね。この古民家再生を契機に減少していた集落の人口が増加に転じたそうです。
組長田中さんがまつだいに行かれるとのことで、現地まで同行させて頂き古民家再生の様子などを拝見させていただきました。現地ではリノベーション前の古民家や見事に再生して素敵な喫茶店をオープンしているイエローハウスなどに案内していただきました。
-これが田中さんが再生を予定されている古民家なんですね。
こちらはカールベンクスさんが再生を手がけた喫茶店のイエローハウスの外観と3階部分↓↓↓↓↓↓
-元の古民家の状態のイメージと再生後の古民家のイメージは全く違うんですね。内部を拝見した再生古民家の3階が驚くほど広いことにもとても驚きました。ところで話は変わりますが、田中さんのご趣味は何ですか?
色々ありますがマラソンはライフワークになっています。マラソン好きが高じて様々なスポーツイベントの立ち上げ支援に繋がっているとも言えます。あとは仲間が開催するイベントや企画、作業のボランティアのお手伝いとかも趣味みたいなものですねー。リバークリーン活動にもはまっていて、リバークリーンマラソンという、パックラフトにのりながら、御嶽で川ゴミを拾う大会の開催のお手伝いなんかもしています。ゴミが毎回1tくらいとれるんですよ、最近川が自分に近づいてきてます。
また最近は銭湯に嵌まっていて東京にある100件以上の銭湯を毎週のように訪れて入浴しています。それと趣味と実益が合致しているのですが、リノベもまあある意味で趣味の一つかも知れませんね。
-イマヤフに伝えたいメッセージをお願いします。
在籍当時は意識しないかもしれませんが、他の企業と比べても退職後も長く付き合える良き優秀な仲間と出会うチャンスのある職場環境だと思います。
外に出るとびっくりするくらい規格外の人間もいます。え、こんな共通言語や常識(だとこちらが勝手に思ってる事)が通じないの?みたいな。利害関係の発生しない今のうちに良い人間関係をいくつか構築させておくと良いかなと思います。
あと、雑魚キャラの私が言うのも何なのですが、仕事って、まったく関係が離れていそうな業務や経験が、後になってどこかで繋がって意味が出てくる事があって、点と点が線となってやがて面となっていくものなのではないかなと思います。私自身も独立してから特にそうなのです。あの時のあれは、この時のこれのための経験だったんだな、みたいな。伏線回収のようなシーンがどんどん出てきます。
一方モトヤフの中には、明確な(上場とか事業売却等)ゴールを設定して、それを達成された方も数多くいらっしゃいます。自分のつよみを自覚できている方は、変に自分探しに目覚めたりせずに、まずは一点集中で自分を信じ切って突っ走って仕事をしていくのが効率が良くお金を稼げるのでおススメします。
自分のつよみをまだ自覚されていない方はセレンディップの力に委ねて、仕事は逆に何でもやってみるというのが良いのかなと思います。いくつかは良い伏線になっていくと思います。
僕はちなみに完全に後者で、点と点がようやく線になってきた感じです。自分のつよみを知れて信じ切れる人は本当にすごいなと尊敬するのですが、こればっかりは適性や才能のような気がするんです。
まあ、雑魚キャラの私が言っても説得力ゼロですけどね….
-モトヤフに伝えたいメッセージをお願いします。
生きてます!
-読者に伝えたいメッセージをお願いします。
インターネット業界のゴミ屑みたいな私の話を最後まで読んでいただきありがとうございました。
-田中さん、本日は大変ありがとうございました!
(本日の田中さんへのインタビューは川村英樹が担当しました)
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