
【絶景散策】謎の卵の正体は?隅田川周辺の歴史が学べるモニュメント10選
こんにちは!東京都中央区佃のタワーマンション「リバーシティ21イーストタワーズ」 広報担当です。
今回は、お散歩&公園大好きな私が、「リバーシティ21イーストタワーズ」の近くにあるモニュメントについてレポートします。
佃地域には多くのモニュメントがありますが、特に隅田川沿いにある佃公園や石川島公園には、歴史的な意味のあるモニュメントが多く、奥深い発見があります。
周囲の素晴らしい眺望と共に、エピソードの年代順にモニュメントをご紹介します。
全体図 (リバーシティ21イーストタワーズ近辺)
リバーシティ21イーストタワーズのある佃地域の、モニュメントの場所と全体図をご紹介します。
佃地域の全体図とモニュメントの位置
月島駅徒歩5分の位置にある「リバーシティ21イーストタワーズから南側に佃公園、東側には石川島公園が広がります。
この地域のモニュメントに、時代順に番号を振りました。地図上で確認できますので、参照して下さい。

佃地域の全体図とモニュメント①~⑩
モニュメントと共にたどる歴史概要
時代順に並べたモニュメントの番号に従い、エピソードを紹介するので、参考にしてください。

①説明板「石の由来」に注目(佃公園)

スタートは江戸時代からです。
佃公園には石垣跡があり、説明が銅板に書いてあります。(写真右下)
この石は、1985年に東京都が日本橋川の工事をしたときに、雉子橋付近から出てきた石垣の一部です。徳川幕府は1605年に江戸城を建てるため、中国や四国、九州の31の大名に石を運ばせました。石の大部分は伊豆半島から運ばれ、多大な労力と犠牲が伴いました。石には各大名や石工の紋や目印が刻まれているものもあります。
ただの石に見えていた佃公園の石垣は、江戸時代の城郭建設の歴史を物語る重要なものだったとは!
重要な文化財がとても身近に見られて、「これが石工の紋や目印かな?」と、ワクワクしました。
②浮世絵銅板で江戸時代の佃島の様子を知る (佃公園)
隅田川沿いの公園内には、ベンチが設置されており、ジョギングやペットの散歩を楽しむ人々で賑わっています。

ベンチの近くの石垣に、銅板を見つけました。3枚の浮世絵が銅板になっているんですが、どんな絵なのでしょうか?
写真を撮って並べてみながら、調べてみました。

「東京明細図会 佃島灯明台下汐干」(三代広重)
「富士三十六景 東都佃沖」(広重)
江戸時代に漁業が盛んだった佃島の様子が描かれている銅板です。
説明板によると、灯台モニュメント設置とともに、往時を偲ぶものとして設けられたとあります。
③石川島灯台跡がシンボル(佃公園)

かつて交通の要所であったこの場所には、隅田川を航行する船舶の安全を守るための灯台がありました。
この石造レプリカは、石川島灯台跡と呼ばれています。
元々は、木造の灯台がありました。
この区域は、かつて江戸幕府が設けた、軽犯罪者向け自立支援センター「人足寄場(にんそくよせば)」という場所でした。
この施設は、当時の社会問題に対処するための重要な役割を果たしていました。
1866年、「人足」の人たちの手で築かれたのが、この石川島灯台です。
ところでその「人足寄場」その初代管理長官こそが、鬼平犯科帳で有名な、鬼平こと長谷川平蔵でした。

「人足寄場」は、名称や機能に変更が加えられながら明治まで続き、移転しました。
移転跡地には、1853年水戸藩が石川島に造船所を創設し、工場として生まれ変わりました。
④日本初の民営洋式造船所発祥の地 (石川島公園)

石川島公園の中央辺りに日本初の民営洋式造船所発祥の地の記念碑があります。
この町はかつて石川島重工業の工場があった場所です。米国ペリー艦隊が来航した1853年、幕府の命を受けた水戸藩がこの地に石川島造船所を創設しました。その後を引き継ぎ、明治維新後の1876年、平野富二により、日本初の民営洋式造船所として「石川島平野造船所」が設立されました。
石川島平野造船所は、 工場の集約・再編に伴い、1979年 に工場を閉鎖し、移転しました。 この地で佃工場126年の歴史は幕を閉じました。
⑤佃公園:石川島公園と共に整備された夢の公園

その後 、跡地は 三井不動産・日本住宅公団に売却され「大川端リバーシティー」というタワーマンションとして1986年に工事が始まり、この地は生まれ変わりました。
隅田川の堤防と埋立地の開発で整備された「佃公園」はとても広く、タワーマンションの敷地近くの辺りには、和風庭園のような贅沢な空間が広がっています。
中心には大きな池があり、飛び石や橋、あずまやなど、子どもの遊び場にも適した、整備された美しい公園です。
⑥隅田川・セーヌ川友好河川記念植樹、マロニエの木 (佃公園)

1989年、隅田川とセーヌ川は友好河川提携を結びました。これを記念して、隅田川沿いの中央区佃公園内にマロニエの木が植樹されました。
隅田川とセーヌ川は、それぞれの国の首都を流れていること、テラスを設け親水性に富んだ川づくりをしている点などに共通点があります。
とても美しい空間なので、セーヌ川と友好な関係なのは納得できます。
⑦ 風の卵 (リバーシティ21イーストタワーズ敷地)

「風の卵」は大川端リバーシティ21の敷地に設置された、浮かんでいるような卵型のモニュメントです。
来訪者に特別な印象を与え、記憶に残るランドマークとしての役割を果たしています。
最初に見た時は「何だこれは?」と驚きました。
芸術性の高いパブリックアートがある空間は魅力的です。
作者の伊東豊雄氏は、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞をはじめ数々の賞を受賞した、世界的な建築家です。
環境との関係を重視し、革新的な概念を生み出す建築家として知られています。
風の卵
設計:伊東豊雄/伊東豊雄建築設計事務所
所在地:東京都中央区佃2-2
アクセス:月島駅より徒歩約5分
施工年:1991年(諸説あり)
⑧メッセンジャー像はパリ万博の思い出 (中央大橋)
メッセンジャー像は、隅田川に架かる中央大橋の端部分の真ん中あたりに設置されたブロンズ像で、1992年にパリ市長ジャック・シラク氏から友好の印として贈られました。

メッセンジャー像は、フランスの彫刻家オシップ・ザキンが制作したものです。
元々は1937年のパリ万国博覧会に出品された木造の彫刻作品で、中央大橋のものはブロンズ像として複製されたものです。
パリ市の紋章である帆船を抱いており、「波はたてども船は沈まず」というフランスの船の守護神を表現しています。友好のシンボルとして、セーヌ川と隅田川の友好を表しているそう。
顔が見えないのかな?と色々な角度から見てみましたが難しかったです。後ろ姿に力強さを感じる素晴らしいアート作品です。
⑨パリ広場は、東京とパリとの友好の証 (石川島公園)

1996年、日本とフランスは21世紀に向けて両国の友好と交流のさらなる発展を記念し、「日仏21年の活動計画」を採択しました。
1999年10月には友好関係を記念し、石川島公園に「パリ広場」が開設されました。

左のモニュメントは、日本とフランスの小中学校の児童約250人が参加して制作されました。
友情と未来をテーマに、児童が描いた絵は250枚の銅板に焼き付けられ、全体のデザインは「無限大」を表現しています。
日本とフランスの友好、世界平和、そして子供たちの友情と未来が無限であるという願いを込めたものだそう。
⑩メモリアルタイムカプセル:江戸開府400年を記念して設置された (石川島公園)

メモリアルタイムカプセルは、2004年に江戸開府400年を記念して設置されたものです。
このカプセルには、「未来に伝えたい中央区」をテーマにした区民からのデジタル写真や、ボランティアが収集したデータ、平成時代の中央区を表す資料が収められています。
400年の歴史を経て形成された中央区の姿を未来に伝えることを目的としています。
絶景とモニュメントを楽しめるリバーシティ21イーストタワーズ

佃公園や石川島公園は江戸時代から現代までの足跡を残している興味深い公園で、散歩のついでにモニュメントに注目するのも楽しいです。
めまぐるしく変遷してきた歴史の上にできた、世界に誇る美しい景色なんだなあ、と思いながら光り輝く隅田川を眺めました。
毎日、絶景とモニュメントを見られるリバーシティ21イーストタワーズでの暮らしを、ぜひ検討してください。
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