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双極性障害の母と養女の姉の話

noteのプロフィールに書いているように
私は双極性障害2世です

母は私が幼い頃から双極性障害Ⅰ型を患っていました

私には姉がいます
姉と言っても血のつながりはありません
姉は養女で私は実子なのです

姉とは6歳近くはなれているので
記憶が違うというか、、、
子どもの頃の記憶があまりない私とは真逆で
子どもの頃の記憶を必要以上に覚えている
そのせいか姉は母の病気に対する嫌悪感が強い
母が憎いと言うより病気の母に迷惑かけられ
辛い思いをしたという感情を思っているように思う

私はというと、基本小さい頃の記憶は断片的にしか
ないのだけど、、、
母に対しては可哀想だなぁと言う感情が強い
そして、頭の良い人だと思っていたし
特に嫌いという印象はない

母が入院していない事もあった記憶はなんとなくある
あとはよくいなくなって近所を探したとか
(たぶん、躁転すると放浪癖があったのかも)
突然、日本語が話せなくなったり叫んだり

また、よくベッドに横たわって1日中動けなかったり
していた記憶も微かにあります

『一緒に死のう』とコタツの紐で首を絞めかけられた
事は一番印象に残っています
たぶん鬱だったんだろうなぁ〜

そう言えば姉が中学か高校ぐらいの頃
姉と喧嘩していたようにも思う
別に普段から仲が悪いのでなく
編み物が得意な母は姉のために手袋を編んで
その手袋がお気に入りで姉はそれしかつけなかったり
姉の事もわたしのことも隔てなさすぎるくらい
可愛がっていたように思います

私が19頃姉が結婚する事になり
両親から姉が養女である事を告げられました
その時も『ああ、やっぱり』というより
『姿形の違う姉妹だなぁ〜と思っていたのは
そういう事情だったんだ!なるほど!!』とは思ったけど
それで何かが変わる程の事はありませんでした

お姉ちゃんはお姉ちゃんだし
自分が生まれた時からお姉ちゃんとして
存在してるわけだからw

まぁ、結婚してしばらく家を離れていた姉だが
姉の次女が生まれると
両親におねだりし歩いて5分のマンションを購入して
家族で引っ越してきました

家族仲は良かったので
姉の家と実家をお互い良く往復していた
上の子2人も里帰り出産だったし

数年後。。。。

姉は古くなった実家を建て直し
2世帯住宅にする事を両親相談
1階に両親、2階、3階に姉家族5人が
住む事になりました

それを機に私は家を出て
一人暮らしをするようになったのだけど
割と頻繁に実家に帰っていました

ただ、何が起こったか
何かの暗示だったのか
家を2世帯に建て替える事が決まり
仮住まいのアパートに父と入居する事になった母は
突如、躁転し、ある日いなくなってしまった
かなり離れたところのホテルに泊まったようだが
ハイで話が通じず家にホテルから電話があり
慌てて迎えに行く事になり
その後、精神病院に入院する事になった
その前の数年間は入院まではしていなかったように思うが
私の記憶は全くあてにならない

家が完成し、母も戻ってきて
姉家族と両親の生活はそれなりだったように思います

しかし!ある日突然その生活が崩れた

父が亡くなったのだ

母と姉の関係はたぶん悪化して行ったのだろう
2世帯で玄関が別々だったら良かったのだけど
玄関は1つしかない ほぼ、同居状態

母も年齢もあって??
いやそんな年齢でもなかっただろう
まだ70代前半だったから
しかし、母を心配した母の兄弟が
母にヘルパーさんをつけるようになったのです
それも姉には快くなかったようですが、、、

母は足が悪くなり
転倒する事多くなっていきました

そんなある日、またまた事件が起こった

母が倒れたのだ

救急車で運ばれICUで入院した
病名は『低体温症』雪山でもないのに
床暖房もエアコンもある家の中で。。。

たぶん、その頃鬱気味だった母は
『お金がない』モード全開で暖房を節約していたのかも

ICUに1ヶ月ほど入院していたが
いつまでもICUにいるわけにもいかず転院を迫られた
そのころ私は仕事が忙しかったので
姉が対応してくれたのには感謝してはいます

が、

姉と一緒に見に行った病院は隣県にあり
入ると野戦病院のような雰囲気の病院で
あまりいい感じはしませんでした
匂いも嫌な匂いだった記憶があります

しかし、その病院にお見舞いに行くと
歩行訓練をしていたりして
リハビリしているんだなぁ〜と思っていました

その後、都内のリハビリ病院に転院
なぜかその時は姉はよく母のお見舞いに行っていました
姉はよく母の事を『お嬢様だから』というのですが
お嬢様気質で言うなら姉の方が母よりお嬢様な気がします

その後、現在も入っている有料老人ホームに
入る話を姉がもってきて入居という流れに

後から最初に入った病院は精神病院で
リハビリのためでなく精神病患者として入れられた

まぁ、、、窓には鉄格子があったし
病棟に入る時は鍵があったから
もっと早くに気づけよと言う話かもですが
その事実を知ってちょっとショックを受けました

現在、母は寝たきりの事も多く要介護度5なのですが
もし、最初の転院でもっとリハビリに特化した病院に
行っていればと、悔いる事もしばしば。。。。

もし母の望み通り有料老人ホームでなく
自宅に帰る事ができていたら何か違ったかも。。。。
姉が自宅で介護してくれるなら
できる限りの協力はしたのに。。。。

この辺の考えの違いから一時期
姉とは疎遠になりました
姉の住む実家から3駅くらいしか離れていません
なんなら自転車で行ける距離のホームですら
半年に1度も母の面会に来ないことも
薄情だと腹立たしく思っていました

コロナになる前は、実家の近くの病院の精神科に
月に1度くらいのペースで通院していた母の
付き添いをする事がありました

通院が終わると気分転換に車椅子で近所を
散歩したりもするのですが

ある日、実家の数件となりの小さな公園に
桜を見に行った時の事
いつも『家に帰りたい』と言っている母に
『折角だから家に寄って行く?』と聞いたところ
『家に行きたくない、施設にもどる』というのです

なんか母の気持ちを思うととても切なくなりました

母はICUに担ぎ込まれたあの日から
一度も家に帰れていません。。。。

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