「架空の音楽」への憧憬、あるいは『ミューレンソウ』へ至る塚
2019年11月23日-24日開催の「ゲームマーケット2019秋」で発売するボードゲーム最新作『ミューレンソウ』の紹介ブログ第二回です。(ゲームの概要をご紹介した第一回はこちら)
第二回にして早くも個人的なメモになることをご了承ください。ほんますまん。
「音楽」+「連想」=「ミューレンソウ」という概念が私の中で生まれたきっかけは一体なんだったのか、というのを振り返って書き残しておきたかったので少々お付き合いください。
祖父が作詞家、叔母が元ガチのヒッピー、祖母は常に歌っており、父が森高千里好き、という環境で育ったため、物心がついたときには既に音楽が好きで、テレビやラジオから流れる歌を口ずさみ、思春期に叔母からもたらされたロックという文化に感染してからは自分でもバンドを組み、さらに貪欲に音楽を摂取しつづけて今に至る、というのが私の音楽体験の雑な流れなのですが、その大きな川の流れに、ある時支流のような形で寄り添い始めた概念があります。それが「架空の音楽」というものでした。その概念の出どころはなんだったのかというのを考えてみるといくつか大きな要素が浮かんできました。時系列順に並べてみます。
①moon
ご存知の方も多いかと思いますが、先日Switchで復刻されて話題になった伝説のアンチRPG『moon』です。1997年に発売されたプレイステーション用のゲームでありまして、おそらく発売された直後に森岡君の家でプレイしたはずです。森岡君の話はいつか書きます(書かない)。このゲームは私の絵にもかなり大きな影響を与えてくれたのですが、「ミューレンソウの始まり」と言ってもいいほど音楽的な影響も受けました。『moon』は当時としては画期的だった「プレイ中のBGMを自分で選べる」というシステムが備わっており、ゲーム中で「MD(moon disc)」というディスクを手に入れることで好きなBGMを選曲できるようになります。もはや本来の「MD」が若者に通じなくなってきてますが、それはさておき、このMDをゲームの中のMD屋さんで買うわけですよ。バーンっていうメタルオタクみたいなキャラが営む店で買うんです。その頃14歳だった私は、ラジオで流れた曲で気に入ったものをCD屋で買うというのがセオリーでした。つまり「CD屋行く→ミスチル買う」「CD屋行く→スピッツ買う」という行動だったわけです。目的のブツがあって、そのためにCD屋に行く。これが基本のムーブでした。しかし、バーンの店「バーン堂」に並んでいるのは、すべてが「知らない音楽」でした。「知らないジャケットアート」が並んでいる様は、得も言われぬ興奮をもたらしました。しかもそれはCD屋に並んでいるものではなく、ゲーム用に作られたある意味「架空のジャケットアート」だったわけです。おそらくこの時に私は、ジャケットアートという視覚的な情報から聴覚的な連想を行うという回路が出来上がったのだと思います。ありがとうmoon。みんなSwitch版買ってお布施せよ。
②カウボーイビバップ、そして菅野よう子とシートベルツ
『moon』体験から1年。1998年に『カウボーイビバップ』というTVアニメの放映が開始されました。これはアニメオタク少年だった私をバンド少年に変えた作品でもあるのですが、アニメのストーリーうんぬんではなく、何よりも私を惹きつけたのはこのアニメの楽曲を演奏している「菅野よう子とシートベルツ」という謎のバンドでした。アニメ第一話放送当日、テレビからOPテーマ"Tank"が流れてきた時の衝撃はその時の光景をありありと脳内再現できるほど憶えています。そして、この"Tank"を演奏しているバンドが「菅野よう子とシートベルツ」だったのです。今でこそ菅野よう子さんは超有能作曲家として名が轟いておりますが、私はその時初めて知りました。問題は「菅野よう子とシートベルツ」が「架空のバンド」だったということです。彼らは『カウボーイビバップ』の世界(西暦2071年)で宇宙を舞台に活躍しているバンド、つまりアニメの世界観に内包された存在であり、実在と架空の境界にいたのです。彼らはアニメの放送終了後もアルバムを発売したり、ライブを行ったりしました。菅野よう子とシートベルツは私に「ミュージカル・フィクション=MF」とでも言うべき概念を植え付けていったのです。ありがとう菅野よう子とシートベルツ。みんなAmazonプライムかなんかで観ろ。
③伊集院光 深夜の馬鹿力
言わずと知れた深夜ラジオのモンスター番組です。私は音楽っ子であると同時にラジオっ子でもあったので、この番組は15歳から今にいたるまでかれこれ20年以上聴いているのですが、ある時伊集院さんが妙なことを言い出しました(基本いつも妙なことを言ってる方ですが)。それは「ありそうな曲名をFAXで送ってもらって、TBSラジオのレコード室に実在したら流す」というあまりにもクレイジーな曲リクエストの呼びかけでした。おそらく2001年の放送回だったと思います。次々と送られてきたFAXが読み上げられます。それはもう「ありそうな」曲名が。しかしレコード室に走ったADから「無い」の報告が続きます。私はその放送を腹筋が壊れるくらい笑いながら聴いていたのですが、だんだんと読み上げられる「架空の曲名」から歌詞が浮かんできたり、曲調が浮かんできたり、イントロが浮かんできたりしてきます。伊集院さんも「これはあるだろ!!こんな歌!!」と、即興で珍奇ソングを歌いだします。その時私は、この存在しない音楽を共有している状態はなんなんだ!?と気付き、笑いとともに得も言われぬ恐怖が襲ってきたのを憶えています。いま思えばなんというクリエイティブな企画だろうか、と感心するばかりなのですが、おそらくあの時の私は「存在しないものを存在しているように扱うこと」の背徳感と快感を覚えてしまったのだと思います。そして同時に、言語情報から聴覚的な連想を行うという回路が開いたのだと思います。ありがとう伊集院さん。お体に気をつけてラジオ頑張ってください。
ということで思い出せる限りではありますが、『ミューレンソウ』に至った大きな3つの存在を勢いだけで書き留めてみました。
moonによって「視覚情報から音楽を連想する回路」を開かれ、菅野よう子とシートベルツによって「音楽の架空性」に気付かされ、伊集院光さんによって「言語情報から音楽を連想する回路」を開かれ、私の「ミューレンソウ」という概念は出来上がったのです。もしかしたらもっと昔に素地みたいなものは作られたのかもしれませんがね。
さて、大事なのはこの長文を最後まで読めてしまったそこのあなたはきっと『ミューレンソウ』を楽しめるということなのです。ゲームマーケット、来てね。そして買っておくれ。