与えられた時間を全うするために。
本日の私は非常に緊張していました。
かなりのプレッシャーでその瞬間を待ちました。
ちなみに、私が緊張するということは
人生に於いて非常に稀なことです。
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私はこの3年間、大学に通っているのですが
フランス語を書くのが苦手なため
受けるテストは事如く落ちてきました。
1年生の時は30点満点中10点すら取れなかったこともあり
自分の大学生活に絶望の暗〜いどんよりとした影がのしかかっておりました。
2年生の後半から3年生までの間
同居している義姉の両足に異変が生じ
終いには真っ黒に壊死して、敗血症で死にそうになり
左足を切断して身体の症状は一時落ち着く…という一大事発生で
勉強どころではありませんでした。
その後、義姉は精神的、身体的に受けたショックから
荒れに荒れて、我が家に平安というひと時は存在しませんでした。
だからといって、私の時間が奪われたとは思いませんでした。
何故なら私は家族皆が辛いこの期間に
大学なんかでは絶対に学べない
とても大切な事を沢山学んだから。
そして、3年で終わる大学はひとまず授業は終了し
一緒に学んでいた若い学生の中で二人卒業を迎えた子も。
こちらの大学では一斉に行う卒業式はありません。
テストを全てクリアし、卒論を書き終えた人から
ポツポツと個人的に卒論発表をして修了となります。
日本の大学みたいに卒業証書もすぐにもらえません。
私が栄養学科で国家試験に通った後卒業した時は
卒業後に卒業証書を申請しに行った2年後?とか
もう忘れた頃に取りに来いと電話がきて
塗り物の筒とかじゃなく、細長い筒状ダンボール紙に入れられて
シラ〜ッと感動もなく受け取ってきて直、物置き行きでした。
話がそれましたが、イタリアの全く締まりのない
入学式もなければ卒業式まで個人主義なシステムの説明でした。
でね、私はまた1年生のクラスに戻ってフランス語の
全く同じ授業をもう一度受けているワケなんですわ。
私の娘でも全くおかしくない娘達とお友達になりながら。
もうね、理解度が3年前とは全然違うんです。
チンプンカンプンだった頃受けていた授業とは
まるで別物のように頭に入ってくるのです。
そして今年は問題なく皆勤賞で通えているんです。
娘にはお昼ご飯を用意して、息子のお迎えをママ友に頼みながら。
私はこの事実だけでも奇跡に思えるんですわ☆
神様からのギフトなんです、この勉強出来る貴重な時間が!!
私は、こんな静かに過ごせる奇跡は
今が最後かもしれないと思いながら
与えられた時間を勉強することに注ぎました。
義姉の病状が悪化したりすると
この静かな生活は崩れてしまうのです。
2年前にやりたくても出来なかった
あの辛い期間がなければ、
サッサと挫折して大学なんか辞めていたかもしれません。
私の前には常に難題が降りかかります。
まるで試されているかのように。
そして無我夢中に難題を乗り越えたその時
常にその難題から大きな学びを得て
ひと回り成長した自分を発見するのです。
そしてそれは、その時の私に絶対に必要な学びなのです。
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本日の運命の瞬間がやってきました。
それはテスト返却の儀。
教授はあっけらかんと
アナタ、合格
アナタ、今回ダメ
アナタ、大変よく出来ました
と、いちいち1言付きで返却して行きます。
私の名前が呼ばれました。
マダム、今回は出来たね
うぉっしゃ〜ヤター!!!!
まだしつこく筆記は間違いだらけで
決して良い点数ではありませんでしたが
3年目のリベンジで
初めて合格する事が出来ました〜!!!!!
Evviva〜! バンザ〜イ!
まだまだくだらない間違いが目立つので
教授に
もっと気を付ければ、これより良い点が取れただろうに…。
とテスト用紙を渡される時にボソッと言われましたが。
1桁台から始まった私の戦いは
合格点に達しただけでも至福の喜びなのでした♪
これはまだまだ序盤で、12月のテストにも受からないと
第1セメスターの合格とはなりません。
第2セメスターも2回のテストの平均点が
合格点に達しなければ終了できず
第1、第2セメスターの平均点で1年生終了時の評価となります。
1年生の時は、この4回のテスト + 追試も落ち…。
まるで地を這う「へ泥色のスライム」のような状態でおりましたが
なんだか、やっと人間になれた気分!
これからも与えられた時間を全う出来るように
自分が望む成果を手に出来るように
気を引き締めて参りまっす♪
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