自閉スペクトラム症という側面を持つ私から、癇癪に悩むご家族へ
こんにちは、律(りつ)です。
私は癇癪(かんしゃく)の経験者です。
私は暴れれば癇癪やパニックという言葉に置き換えられて、ある意味守られてきました。
体が大きくなって暴れても
警察に通報されることはなく、
家族の中で抱えてきた家庭だったと
振り返ってみて思います。
様々な障壁と闘い、葛藤し、やっと落ち着き
当事者から経験者へと移行していった私ではありますが
だからこそ今、泣き叫び暴れる私を抱えた当時の家族の傷つきや疲弊について目を向けるようになりつつあります。
「この子の行動には理由があるから」
「かんしゃくが起きたら止められないのだから、予防するしかない」
「落ち着くのを待つしかない」
お母さんが口癖のように言っていたのをよく思い出します。
当時を振り返ってみて
ことばがわからなくてつらかったです。
お母さんに話しかけられても、当時、私に聞こえていたのは¨ことば¨ではなく、¨おと¨した。
また、音があまりにもうるさく、イライラが止まらない(専門用語では不穏と呼ぶこともあります)状態は常でした。
掃除機の音 ドライヤーの音 もぐもぐ クチャクチャ食べる音 鍵をテーブルに置く音
これらは全て不快な音に感じられます。
私の場合は、お薬の服用を始めて過敏症のつらさが200から169に減りました。
イヤーマフを試したり、
耳栓生活を続けたりしました。
今はずっとイヤホンを着用し音楽を聴いて、音が聞こえないよう対処しています。
私は19歳になりました。
ことばで伝えられたり、
予兆を感じた時点で休憩をしたり、
解離症状に置き換わったり
いろいろです。
私の場合は、
閉鎖病棟へ入退院を繰り返したり、
入所施設で共同生活を送ったり、
そんな具合で少しずつ
望ましい行動と避けなければいけない行動の判別をつける
練習をしている最中です。
私にとって、
「保護室に入りたくない」
「施設が退去になったら行く場所がない」
という動機が大きかったように思います。
また、周囲の人の対応として
「刺激しない」を鉄則に
癇癪の時でも普段通りの生活(動作)をしてもらっていたことは
私にはよかったです。
現在に至るまでの過程には、本当にたくさんの方の協力を必要としました。
お世話になった方、ありがとうございました。
癇癪について、とっても反省しています。
お母さんやお姉ちゃんはどんな気持ちだったかなあって考えるとぎゅっとお胸がしめつけられます。
ごめんなさいとありがとうの気持ちを発信したいと今パソコンに入力しています。
今は準備期間ですが、
数年後には社会に出たいと考えています。
応援していただけると励みになります。
これまでの反省や経験を踏まえ
周りの人への影響を考えられるひとでありたい
と強く思います。
この語りがヒントになるとすれば幸いです。
気づくことから始まるのなら
そのきっかけとなりそうなものを公開していきたい次第です。
これにて結びとさせていただきます。
ありがとうございました。
2023.01.28(土) 律(りつ)
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