できていることがあたりまえの世界線
ある一言で私の中の何かが変わった。
先日、B型作業所の見学を終えた。
もう体験利用しなくても、いいんじゃね。
軽率にそう考えていることを支援者の方は見透かした。
「体験はしてもいいんじゃないかな。やってみてわかることもあるからさ。」
えぇー
別に見学で雰囲気わかったし・・・
要らないんだよなぁ・・・・・・
面倒だなぁ・・・。
時間を置いて考えた。
まあ、してもいっか。
計画相談支援の方に連絡を取っていただいた。
作業所の担当の方から、日程調整のお電話をいただき
当日を迎えることとなった。
※当日の様子や体験内容の詳細は、諸事情で記載が難しいのですが、感想や今思うことは書けそうなので、つづらせていただきます。
「できていることがあたりまえ」という世界線で、
私は「自分の生きている価値」を問うことになった。
ツイッターで、周囲の人にも
「働きたい」「B型(作業所)でもいいから自分で収入を得るんだ」
と宣言に近しいものをしていたのだけれど、
私にとってはあまりにも厳しい世界だった。
就業の訓練といっても
「ひとりの大人として」「成人者」という扱いは変わらない。
仕事のやり方が違えば指摘はされるし、ミスがあればまずは謝り、どうしたら正確に業務を遂行できるか自分で考える必要がある。
福祉作業所といえども、
お金をいただく、対価をいただくということで
「できたね、すごいね」と褒められるわけもなく、
「正確さ」「スピード」「質」がそれなりに求められ、
教えてもらったことに「いやだ」「もういいです」とキレても、相手は困るというか、「ああ、わかりました。もう来なくていいです」と切り捨てられるんだろうなあと、雰囲気で感じた。
体験が終わってから、不調が続いた。
「こんなことも知らないで私はわがまま(世間知らず)だったんだ」
「なんで体験しただけなのに、こんなに苦しくなっているの。こんなんだったら本格的な仕事はできないじゃん」
「私はなんてダメなのだろう」
幻聴が聞こえ始めた。
生きるとか、死ぬとかそんな声が聞こえる。
病院の緊急コールに電話をする。
「もしもし、パニックになりそうなのですが」
「頓服薬は飲めそうですか?」
「さっき、飲んじゃった」
そんな会話をしながら、10分ほどお話を。
不安の時のお薬を服用することになった。
水筒にお茶を注ぐ。
「ごっくん」
これで少しは体調が回復するかなあ。
不意にタブレットを触る。
通知が来ている。
支援者の方からのメール。
開いてみる。
「作業所の件ですが、今は学生なので働くことをそんなに考えなくても大丈夫だと思います。それよりも、ゆっくり本を読んだり、創作活動をして能力を伸ばしていってほしいです」
ひそめていた眉が、スッと元に戻る。
モヤモヤが晴れている、心があったかい。
ほしかった安心感だ。
結局、どうするかはまだ決まっていない、わからない。
体調を崩すということは、ハードルが高かったということ。
就活ってお見合いみたいなもので、
努力以外に
タイミングと相性が大切だと聞いたことがある。
就労以外の日中活動先を探しつつ、
今はのんびり音楽活動や絵の創作活動に注力することにしたいと思う。
頑張ったら「頑張ったね」
できなかったとしても「ここまでできたね」
いいと感じたには「いいね」
そう言ってもらいたいし、
そんな風に心が安心できる環境に身を置きたい。
生き方を模索します。
2021.10.22 律(りつ)