人生イージーゲーム、にならないだろうか。
私たちは生きていると何度も、大小さまざまな決断を迫られる場面に出くわす。結果論に過ぎないが、その選択を誤ってしまったと、後から気付くパターンは往々にしてある。
筆者は2022年を「挑戦の年」にしようと考えた。実際に何足もの草鞋を履いて上半期を駆け抜けた。
正直言って、憧れ通りにはいかなかった。その大きな要因として、単純に新しい対人関係が増えたことが挙げられる。人と関われば関わるほど、疑心暗鬼になっていった。思っているより世の中には、黒い部分を強く持つ人が多くいた。その環境を選んだのは自分だろうと言われるかもしれない。実際そうだ。ここで筆者が強調したいのは、外から魅力的に見えたからそこを自ら選んだとしても、内側の本当の姿は未知数であり、場合によっては、何かしらの犠牲が出る可能性があるということだ。
ある日、近しい人に悩みを聞いてもらっていた。終盤に「聞いてもらって、こういう見方もあるんだと気付けたし、感謝している。」というようなことを言ったと記憶している。本当に腑に落ちたところもあったのだが、私がまだ浮かない顔をしていたのか、「なんでいつもそうやって綺麗にまとめようとするの?モヤモヤしてるなら、その気持ちに正直になればいいのに。」と言われた。ハッとした。
無理矢理にでも前を向こうと、元気であろうとするのが私の強みであり、同時に欠点でもある。これもまた、憧れに沿って行動するが故なんだろうな。浮かない表情を隠せなくなっていた時点で、相当キテいたのかもしれない。
人生の選択は極めて難しい。加えて、どんな結果になろうが時間を巻き戻すことは不可能だ。謂わば一発勝負のハードモードなのだ。(ほらまた綺麗にまとめようとしてる)
人生ゲームのように“億万長者になる”とか“車にたくさん友達を乗せる”とか、そんなに欲張らないから、せめて日常だけでもイージーに過ごせないものか、怖い目に遭わず平和に暮らせないものか、そんな話をダラダラと書いたのに、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今回書いたことに共感して、「私だけじゃない」と思った方がいれば、私も「私だけじゃない」と思えるし、救われる。