【沖縄県】総合診療医・本村和久先生が語る離島医療の今そして未来〜島医者は島が育てる〜◆Vol.1 #file3
こんにちは。離島医療人物図鑑の高橋希和です!
今回離島医療人物図鑑は沖縄県津堅島で医師として勤務されている本村和久先生にインタビューさせていただきました!!
本村先生は沖縄県立中部病院で総合診療医として働きながら、離島医療を志す若い医師の教育プログラムの作成、常勤医のいなくなった津堅島の医療体制の再構築と精力的に活動されています。
今回、インタビューでは本村先生がどうして離島医療を志したのか、離島医療の魅力は何なのかを聞かせていただきました。
大学4年生の実習での経験が離島医療に興味をもつきっかけに
---離島医療に興味をもったきっかけは何ですか?
「離島医療ではないのですが、大学4年生の時に、衛生学・公衆衛生の実習で小さな山村の保健師さんに1日ついて回る実習がありました。そこでは、保健師さんが地域の色々な健康問題に関して深く関わり、一人一人の住民にどういう健康問題があるのかというのを拾い上げていらっしゃる姿を見て、こういうことが地域を支えるということなのだなと強く思いました。そして、こういう形で医師が地域に関わることが出来たら面白そうだなと思ったのが地域医療を志すきっかけとなりました。」
本村先生と津堅島の出会い
「具体的にどうやったら地域、離島で働けるかという事が分からなかったのですが、沖縄県立中部病院という病院が初期研修を2年行ったら、離島診療所で一人で頑張るというぴったりなプログラムを持っていました。医者3年目でいきなり離島診療所で一人でやれるのかと内心不安に思ったんですけれど、自分がやってみたい事でもあるし、ちょっとやってみようと申し込みました。」
「その時に赴任した津堅診療所に今も関わっています。最終的にこの島を選んだ理由は島の空気感とか海の綺麗さとかですね。そういった所で、自分が色々考えてやってきた事が実現出来たら最高だなと思って決めた所です。」
本村先生からみた津堅島
---現在先生がいらっしゃる島はどんな島ですか?
「沖縄県の色々な離島の中では、観光地化されていなくて、割とのんびりしている所が良い所かなというふうに思いますね。」
---住民との距離感はどのようなものですか?
「みんなで支え合ってという感じはあるので、医療職としては距離感として付き合いやすいです。程よい距離感が取りやすいのかなという風に思っています。」
津堅島は本島からのアクセスが良いため、沖縄本島から毎朝通勤してくる人がいたり、沢山の人が島を出入りしています。なので、島民の方は島外から色んな人が来ることに関してあまり抵抗がないのではないかと本村先生はお話されていました。
---離島に赴任する前の離島に対するイメージを教えて下さい。
「離島に赴任する前のイメージは”自分で何でもやらなきゃ”とかですね。島で唯一の医者だから24時間気を張って頑張らなきゃみたいな感じで思っていました。卒後3年目で伊平屋島という本当にアクセスも悪くて、フェリーで1時間半くらいで船も2便しかない所に赴任しました。そこで人口1500人の方を診なきゃいけないのだと緊張して赴任した記憶があります。」
---赴任する前の離島のイメージは赴任後変化しましたか?
「一人でやらないといけず、診断が違って患者さんに不利益だったなと思う事も確かにあったりはしました。ただ、基本的には9〜17時の診療なので、走ったり、料理やお菓子作りなど好きな事をする時間も取れていました。また、空いた時間には色んな文献を読む時間にしていました。いわゆる普通に勉強する時間があったので、医学的知識の量としては離島診療所に赴任してからすごく増えたなと思いますね。」
現在の津堅島の診療所の状況について
「この津堅診療所は2年前から常勤の医師の確保が出来ないといった状況になってしまいました。今は常勤の医師がいない中で、色んな医師が入れ替わり立ち代わり手伝いに来てくれて、大体10数名の医師が関わって医療を続けています。私も週に1回応援診療に行きながら、遠隔医療の導入など自分が出来ることを探しています。」
次回、離島で働く中での本村先生の思いを詳しくお届けします。
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この記事を書いた人
高橋希和 聖路加国際大学看護学部看護学科3年
高校1年生次、フィリピンのマザーテレサ孤児院にて、貧困に苦しみながらも支援を受けて学業に励む子ども達と交流し、ボランティアとして里親支援に参加。大学では、聖路加国際病院小児病棟に入院している子ども達を支える"Night Friend"に携わる。
将来は発展途上国等で看護師として健康問題の改善に取り組みたい。また、同地域で医療者を目指す学生の支援にも関与したい。