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【連載小説】ハローワーク(2話)

青空を覆い隠す気色の悪い灰色の雲は自分をコンプレックスを表現しているようだった。

相変わらず日雇いの仕事をやり続けていた僕は週に1度か2度のペースでハローワークに通っていた。

「田辺くん。就職っていうのは結婚するのと同じなんだよ」
「はぁ…」
「生涯一緒になる相手を探すのと一緒なんだよ。女性が自信のある男性に惹かれるように面接の場所では堂々とハキハキ受け答えする必要があるんだよね」
「はい… 」
「田辺くんはどんな仕事に就きたいって考えているの??」
「いやぁ~…特にはありません」
「そんなんじゃダメだよ。自分のやりたいことをはっきり教えてくれなかったらこっちだって仕事を紹介することができないんだから」
「すみません」

自分が何に謝っているのか全く理解できなかったが相変わらず僕は怒られていた。就職活動始めようと勢いでハロワークに来たのは良かった。ただ現実はハロワークに来所すれば就職できるわけではなく、自分の行きたい会社を探し応募しなければならないらしい。

僕には資格も肩書きもない。それは僕のコンプレックスを刺激するには十分だった。

「田辺くんさ、まずはやりたい仕事を決めて応募したい会社を選んでみよう。ここにたくさんのパソコンが並んでるでしょ??」
「はい…」
「これ番号札だからとりあえず見てきてごらん」
「はい…」
「もしなんか気になる仕事があったら教えてね」

僕は25番と書かれた番号札を手にとりパソコンの前に座った。求人情報検索ボタンからとりあえず都道府県を選択して職業分類のボタンをクリックした。たくさんの職業分類が並んでいるがパッと見て吐き気がした。職業分類を見てもやりたい仕事なんて一つもなかった。そして何の資格も肩書きもない僕にできる仕事もなに一つないと思ってしまった。

「馬場さん」

相談員の馬場さんに声をかけた。この相談員は50歳くらいだろうか。

「田辺くん。見つかった仕事??」
「僕やりたい仕事とか言われてもよくわかんなくて」
「う〜ん。こっちも困ったな。田辺くんは大学には進学していないんだよね」

まただ。そんなに大学が大切なんだ。僕はなにも答えることができず小さくうなずいた。

「それから何か資格とかあるの」

泣きそうな気分を悟られないように小さく首を横に振った。

「う〜ん。そうだな。清掃員の仕事とか興味ない??こんな求人あるんだけど」

馬場さんは清掃会社やゴミ回収業者の求人を何枚か印刷して僕に見せてくれた。

「まぁ。とりあえずはこんな求人があるんだけど興味があったら応募してみたらどう。正社員だしそんなに給料も悪くはないと思うんだけどさ。と言っても決めるのは田辺くんだし、今日決める必要なんてないんだからもし応募する気になったら言ってよ」

僕はまた小さく頷いた。

「それから履歴書の書き方とか志望動機添削してあげるからそれも言ってね」

馬場さんは次の人との時間が迫っているのか足早に話を終わらせた。

ハロワークから出ると疲れがどっと出た。普段重いものを運んだりするのとはまた違う種類の疲れだ。足取りが重く、近くのコンビニで大盛りの唐揚げ弁当と炭酸入りのジュース、それから履歴書を買った。店員が履歴書と僕の顔をジロジロ見ている気がしてまた疲れた。履歴書も会社の求人も見るのが面倒だったので机の上に放り投げて録画していたアニメの続きを見ることにした。

次の日、僕は日雇いの派遣に出勤した。ここでずっと働いていくのもいい気がしてきた。山田さんはこっち側で待ってるなんて脅してきたけど、あっち側も疲れそうだった。僕はぬるいお湯に浸かっていたいと思ってしまった。

その日の休憩中に夢を追っている青井さんと話す機会があった。青井さんは面倒見がよく仕事ができた。それで俳優だか声優だか芸人だかよくわからないが夢を追っているらしい。
「田辺くん。昨日休みだったね」
「はい..」
「なんかあったの」
「風邪??」
「そうじゃないんですけど、実はハロワークに行ってまして」

僕は相変わらずなにも考えておらず青井さんに昨日のあったことを話していた。

「すごいね。就職活動しているのか」
「別にすごくはないんですけど、やりたい仕事なんてないです。だからやりたいことがある青井さんの方がすごいと思います」
「俺のほうはまだまだだけどね。俺の父親も清掃会社の営業をやってるけど清掃員員じゃない。正社員だったらきっとココよりも安定するしボーナスだって福利厚生もいんじゃないかな」
「福利厚生ってなんですか」
「会社員だと国民年金じゃなくて厚生年金に加入するんだよ。厚生年金の方が老後受け取れるお金が多くなるし、会社が半分負担してくれるからお得なんだよね」

僕は怖くなった。そして怒りを感じた。社会は僕の全然知らないシステムで動いているらしい。なんで誰も教えてくれないのだろうか。僕の両親は学校は一体なにを教えてくれていたのだろう。僕は縋り付くように青井さんの話を聞いていた。青井さんも得意げに教えてくれた。

「20歳になったらみんな国民年金の紙がきっと届くよ。赤札みたいにさ」
「赤札って」
「なんでもない。それにもしかしたら住民税の支払通知は届いてるんじゃないかな」
「住民税…」
「家帰ったらポスト見てみなね。」
「それって払わないとどうなるんですか」
「さぁ〜わからないけど、なんか差押えとかされちゃんじゃないかな」

僕は今すぐに家に帰りたくなり午後の仕事は手につかなかった。家に走って帰りポストを見てみたがなにも入っていなかった。

「大丈夫なのかな。税金って、お金って、なんなんだろう」

僕は不安だったがなにもできなかった。青井さんの言ってることが正しければもうすぐ20歳だ。僕はその赤札と呼ばれるものが来る前に会社に入社しなきゃいけない。僕は急いで馬場さんからもらった求人票を読んでみた。

正直よくはわからないけれど、とりあえず受けてみよう。話はそれからだ。そう意気込んで履歴書を書いてみたけれど志望動機以外はすぐに書き終わってしまった。僕が書けるのは名前の欄と出身高校のところだけだった。それも志望動機がないから困ってしまった。僕は馬場さんの言葉を思い出していた。生涯ともにする相手を選んだ理由。無理だ書けない。結局この会社を選んでくれたのも馬場さんだ。何にも志望する理由なんてない。僕は困り果ててふて寝することにした。

次の週に僕はハローワークに来所して馬場さんに相談してみた。

「馬場さんが紹介してくれた仕事を受けてみようかなって思うんです」
「それは良かった。気にってくれたのかな」
「まぁ。とりあえず受けてみようかなって思って」
「それはとても良いことだと思うよ。求人票を見てるだけだと実際のところはわからないことが多いしさ、雰囲気は面接を受けてみてどう感じるかが大切だよ」
「はい…これ履歴書ここまでは書いてみたんですけど志望動機はどうしても思いつきませんでした」
「すごいじゃないか。ここまで書けたらあと一歩だよ」
「いや..でも志望動機がわからなくて」
「例えばこんな感じじゃない」

馬場さんはなにやらパソコンのマウスをクリックしたり、キーボードをカタカタとタイピングしている。そして馬場さんはまた何かをプリントアウトしてくれた。

「まぁ清掃員の志望動機ならこんな感じじゃないかな。僕は整理整頓が得意で陰ながら人の役に立つことに喜びを感じます。貴社を志望した理由は通勤圏内であることや他社とは違うアットホームな雰囲気や困ったときは社員同士で助け合いを大切にするという貴社のホームページ書かれていことに胸を打たれました。貴社に入社した際は早く一人前になれるように仕事を覚えるために努力していきます。」

僕は絶句した。馬場さんが書いた文章は僕が心にも思ってない言葉ばかりだ。それをほんの一瞬で馬場さんは書いてしまった。

「えぇ..これって..僕…」
「まぁ志望動機ってのはこんな感じで書くんだよ。他にも例文はたくさんあるしさ」

馬場さんは会社の志望動機の書き方が書かれているリストを渡してくれて清掃員の部分にピンク色のマーカーを引いてくれた。

「どう。書けそうかな」
「いやぁ..僕こんなこと思ってないですしこんなにも知らない言葉…」
「田辺くん。いいかい。会社に入社したければ相手の面接官に気に入られる必要があるんだよ。それは女性を口説くときと同じだよ」
「…」
「この人うちの会社に入社して欲しいなって思ってもらわなきゃいけないんだよね。志望動機だけじゃなくて面接のときだって同じだよ。相手の期待している答えを用意して演技をする必要があるんだからね」

僕は家路に着く間そして家に帰ってからも悶々としていた。僕は思ってもいない志望動機を書いて面接の場所では演技しなくちゃいけないらしい。なんなんだそれは。ただの嘘つきじゃないか。どういうことなんだろう。思ってもないことを言うことは許されることなのだろうか。

空模様は晴れもせず、雨も降らずただただ灰色の空が続いていた。

次の日雇いの現場で青井さんと一緒になることができた。僕は先日のこと感謝を述べた後に自分が受けようとしている会社に対して志望動機で嘘をつくことって良いのか聞いてみた。青井さんの回答はあっさりしていた。

「別にいんじゃない。生きていくためだしさ。それにそんなことどこの大人も子供もやってるしむしろなにをそんことで悩んでるの」
「…」
「本当は働きたくないだけなんじゃないの。俺の父親は営業だし思ってもないことを平気で言ってると思うよ。それに商売人はみんな思ってもないこと言ってるんじゃない」
「…」
「それが普通だよ」
「これが普通」
「もう休憩終わるよ。行こ」
「はい」

僕は悶々としながら重労働に耐えその日の仕事を終えた。その日の帰り道に山田さんから声をかけられた。山田さんは僕にこっち側にくるよと忠告をしてくれたおじさんだ。

「おぉ。就活生」
「はぁ~」
「青井君が言ってたよ。就活してんだって」
「まぁ」
「なんかちょっと逞しくなったな」
「思ってないくせに」
「おぅ。言うようになったじゃん。それでいんだよ」
「はぁ…山田さんって嘘をついたことありますか」
「あるある。ありまくり。浮気なんてしてないとか風邪を引いて休みますとかあと昔は…」
「はいはい。そうなんですね」

僕は山田さんの話が聞くのが面倒になった。足取りを早めて早く帰ろうとしたら山田さんがついてくる。

「なんだよ。今の質問。意味わかんねぇ。言いたいことあるなら言えよ」
「別にたいしたことじゃないです。ただ志望動機で自分の思ってないことを言ったり、面接で演技することって良いのかって思ってただけです」
「あぁ..なるほどね。世の中なんて嘘だらけでなにが真実かなんてわかんねぇしな」
「…」
「てか社会なんて嘘で回ってんだしさ」
「…」
「ただ俺は…ついて良い嘘を悪い嘘はある気がするけどな」
「…」
「嘘は泥棒の始まりと嘘も方便ってことわざどっちも正しいと思うんだ。だから世の中はそんなグレーゾーンで回ってるんだって」
「…僕のついている嘘はどっちのことわざですか」
「そりゃ…泥棒だろ」

山田さんは一人で大爆笑していた。

「冗談。冗談。そんなの自分で考えろ」

僕はこの人が大っ嫌いかもしれない。

僕は家で馬場さんに見せてもらった志望動機の例文を見ながら自分で書いてみた。馬場さんの何倍の時間がかかったし、僕が書いた文章は稚拙だった。けど嘘はついていない気がした。

後日、馬場さんに志望動機見せてみると、まぁいんじゃないかなとそっけない回答があった。僕は褒めてもらえると思っていたので少しがっかりした。そしてその後に馬場さんが面接希望の会社に電話をしてくれた。もう何社かは採用が決まっていたが、まだ募集中の会社もあり面接の日程は明日となった。

「頑張ってね。聞かれる質問は考えておいてね。演技だよ。演技」
「はい…」

僕は次の日寝坊した。昨日、準備は終わらせていため急いで着替えを済まして面接の会社へと向かった。3階建の細長いビルだった。時間にはギリギリ間に合い。女性の副社長に持参した履歴書を渡し丁寧に面接をしてくれた。

あっという間に面接は終わり、次の日には採用の連絡があった。

灰色の雲からはポツポツと雨が降り始めている。

続く


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