40過ぎ未経験の私がトップセラーになるまで(4)
👠元ラグジュアリーブランド・トップセラーの記録
私に青天の霹靂とも言える異動の辞令が下りたのは、そんな頃。
それは突然やってきた。
当時、社内でフルタイム勤務しているママ社員は私だけだった。
そもそも、伝統的な歴史ある某ブランドたちとは違い、個性が爆発しているラグジュアリーブランドに、ママ社員なんて皆無。
そのためか、数年前ではあるけれど、今のような柔軟な働き方ができる体制は整っておらず、ママが働きやすい勤務形態を受け入れる土壌もなかった。
フルタイムとなると、遅番も早番も土日勤務も、泊まり掛けの出張だって当たり前にある。
家族や何かのフルサポートがない限り、まず勤務することは不可能なのだ。
通勤に1時間以上かかる私は、毎日朝晩計1〜2時間しか子供たちと会えない生活をしていた。
本社の人たちも私のそんな背景を理解してくれており、だから私には、恐らく負担の増えるであろう異動の辞令は、絶対に下らないだろうと信じて疑わなかった。
会社側からすれば、そんな訳はないのだけれど。
新店舗を作る上で、私は一番にそこに設定されていたと言うから驚きしかなかった。
サラリーマンである以上、辞令は断れるものではなく、「はい」と返事はしたものの、これまでの慣れた環境を手放すこと、今まで以上の負担が予想されることを考えると、納得し受け入れるのにしばらく時間がかかった。
私は新規店舗の立ち上げに携わった。
新しい店舗は、これまでとは異なり、比較的落ち着いた百貨店の中にあった。
客足は落ちるが、その分外商との距離が近く根強い外商顧客が多いのが売り。新たな顧客と販路の開拓が期待できた。
私たちは華々しく賑やかなオープニングを迎え、広々とした美しい店舗で、新しく組まれたスタッフとお店作りを始めた。
これまで培ってきたノウハウを駆使して、と…
ところが、どんなに張り切っておもてなししたくても、肝心のお客様が圧倒的に少なく、想像していたのと全然違う。
お客様が来ないってどういうこと?
だってさ、ほら、少ないなんてもんじゃない。
ちょっとお昼寝してていい?何なら立ったまま寝てるからさ、何かあったら起こして!なんて言いたくなる。
この時初めて知ったけれど、毎日暇なことほどの苦痛はなかった。
何でこんなところにうちのブランドが入っちゃったの?
それはもう、会社の決断を疑うレベルだった。
接客さえできれば売る自信はあった。
けれど、お客様が来なければ売ることができないじゃないか!
不満を口にする代わりに、私たちはたっぷりある時間を丁寧なお客様のフォローと戦略を練るのに費やした。
来る日も来る日も、毎日コツコツ今できることをやった。
今までやってきたやり方よりも、もっといい方法はないのか?
毎日少しずつ工夫して、レベルを上げていった。
こんなに丁寧にお客様一人一人について考えられる、優雅に時間を使える職場は、初めてだった。
いつの間にか、客足の少ない静かな環境が苦痛ではなくなり、優雅に、丁寧な仕事ができるこのお店を好きになっていた。