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読書メモ42「非色」

数十年ぶりの有吉佐和子。
迸る熱、というのが特徴だと思う。
昔、「恍惚の人」を読んでその記憶があったけど、
今回の「非色」の火力も強い。
このパワフルなとこを、昔のおっさんらは
ヒスとか言いそうだなあと時代背景を勝手に想像してしまう。

私は笑子だ。
反骨心の塊、というか天邪鬼かもしれない。
反対されればされるほど、「上等だ!」と
そっちにエンジン全開で突進する。
ヤンキーマインドに似ているが
群れるほど弱くもない。

小さい頃に、差別というものを知った時に、
なぜ差別するんだろうと考え始めてずっと
考えてる。
差別する人を私は差別してしまうなって考えて
うーん、差別は無くならないのではないのか?
といつもグルグル回ってた。

その後、人間は未知のものが怖くて遠ざけようとするのが基本にあって、それが数に恃んだ結果が差別かなあと。
そこは中学生くらいにたどり着いた。
だから、何よりも大切なことは
「知ること」
だと。

ここに中学生でたどり着いたチビ哲学者だった私は
そこからあまり成長してない。
差別はしないが嫌いにはなっていい、というところには辿り着けるくらい大人になった。
子どもの頃は差別されるクラスタを嫌っちゃいけないなんて思ったりもしたからな。
そしてそれはその人の属性ではなく、その人が嫌いなのは全然OK!って。

「夜と霧」を読んで
「まともな人間と、そうでない人間の2種類しかいない」
とあって感動したんだけど、
笑子は
「使う人間と使われる人間」
として蟹工船みを帯びさせる。

金持は貧乏人を軽んじ、頭のいいものは悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮す人は昔の系図を展げて世間の成上りを罵倒する。要領の悪い男は才子を薄っぺらだと言い、美人は不器量ものを憐れみ、インテリは学歴のないものを軽蔑する。人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。

非色 | 有吉佐和子

このくだりは胸を打つ。
私たちはどう生きるべきかを考えろと突きつけられた気がした。

「下」の人を庇う気持ちよさも冷たく描写される。
上から見下ろすのは気持ちいいだろって。
佐和子ぉぉぉ!くぅぅぅぅ!ってなった。

あの時代に書いたものだから現代ならばNGワードがありもするが、今書いてるわけじゃないからスルーすればいいのに言葉狩りクラスタはちょっとセンスないなっていつも思う。

女性の立場なんかも今とは全く違う時代に書かれている。
私も50年くらい生きてきたから少し知ってる。
女性はお茶汲みしなきゃいけないし
ずっと働かず寿退社するのが当然で
それが大多数だったって時代。

小さい頃に
「ずっと働きたいなら女は教師、看護婦(当時)、美容師」
と言われて衝撃を受けた。
資格を取らなきゃ働き続けられないの?
おじさんたちは、みんな資格取って働くの?
素手じゃないの?
だから、私はそれらの資格を取りたくなかった笑

今を生きる有吉佐和子は、書くものいっぱいあったかな。
当時とは違うけど、ガシガシ書いたに違いない、なんて思っちゃうのだった。

有吉佐和子の火力で暖を取る。

華岡青洲の妻も読もうかなあ。
見かけた当時は本当に姑がいたから胸糞悪くなるだろうと手を出さなかった記憶。

おしまい。

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林田りんだ
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