映画18「ドント・ウォーリー・ダーリン」
心配いらないわ、ダーリン。
心配いらないよ、ダーリン。
専門職と、非専門職あるあるかもしれなくて、
そして離婚原因1位に輝きそうなやつでもあるなあと思いながら見た。
私は別に専門職でもなく
なりたかったものは「おかあさん」であったので
夢も叶ってしまって(ついでに言えば母を定年=子ども成人)
今は悠々自適の生活。
長くお母さんやってたので、自分のために時間とお金を使うことに慣れず
何をしていいのか分からない。
お母さんの半分以上はひとり親だったので、別に今でもお金に余裕があるというわけでもない。
習い性のように日銭を稼ぐべく毎日オシゴトには行くのである。
オシゴト、以前は好きだった。
今の仕事だけが「好きじゃない」。
楽しみを見出すとしたら、ビジネス雑誌なんかでよくある
「こういうとこがダメ」
を煮詰めたようなシステムの弊社と、
家族経営なので、家族のいない私には分からない謎の依存合戦などを
ゴシップ記事を読むような下種な気持ちで眺めるというくらいの生産性のなさである。
そんな私のような人生うまくいってない感じの夫が
転居・転職でバリバリと理想的な職場で働き
妻と理想の町で暮らす。
何かの実験タウンみたいな、整然とした町。
そう、メタバースのような。
夫は山へ芝刈り。
妻は川で洗濯。
そんなような生活。
主婦だってそんなには暇じゃないとは思う。
しかも家が広いし・・・。
掃除だけでも大仕事だ。ルンバいなさそうだったし。
薄気味の悪いさを描かせたら
これまた素晴らしいなと思った。
人の「いやなきもちになるやつ」は
それがステレオタイプだろうがなんだろうが
嫌なのだ。
私は時に
「偏差値50の幸せ」
という表現をすることがある。
「普通であること」は案外難儀なことと、
「見えないことのある幸せ」というものが世界にはあると思うから。
見えればいいというものではない。
現に私は普段、仕事で必要でなければ眼鏡をかけない。
自分の顔を見る時もシミもしわも見えなくて自己肯定感も上がる(多分)。
白髪も光の加減にしか見えないし。
だからといって敢えて目をつぶるのは私にはその程度しかできず
強い意志を持って目をつぶることもあるのだと、
また考えてしまう映画と出会ってしまった。
フランクがやってるように見せて実は「夫を掌で転がす」ような妻が
ちらっと見えたりもするけれど、
そこに「女の敵は女」感が見えてみたり(何となくPTAを思い出した)
仕事がキライな人は、仕事を好きな人がいることが分からないのかも?とか
逆の世界を作る人もいるのかも?とか
面白かったよん。
怖いけど。
そして最後って・・・?
おしまい。