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映画10・アイ・アム・マザー

私たちはみんなミトコンドリア・イブの子孫。
みたいな話があるけど、それを思い出した。

その「イブ」なら「マザー」を名乗っていいような気がする。
私は母親です、というならば
「アイ・アム・・マザー」
になるのに、この映画の場合は
「アイ・アム・マザー」。
名詞なの?マザー。
という疑問を持ちながらの鑑賞。

いろんな話のごちゃまぜな気がしたのと
「え?そうなる?」
「ちょっと待ってそれなにー!?」
などの疑問が湧き出る映画であった。

「マザー」って、英語圏だと
「お母様」みたいなニュアンスにもなるのかなと思いつつ
でもこのドロイドの名前がマザーなのかな、やっぱり。

マザーが充電してる間は無反応ってところ、
眠りの深い私は親近感を抱いてしまった(そこかい)。
やたら人間っぽくできていて、
ムスメの危機には猛ダッシュ!なんかも
同じ母として分かるぜ!ともなる。

ドロイドが違うドロイドになっても
マザーが移植されたらそれがマザーでいいと思うんだけど
どうもこのマザーって1体しかなさそう。
子どもにとって愛着の対象になるためになのかな。
においとかつかなさそうなのに。
でも、表情(っぽいもの)が表示されるようになってるのも
ヒトへの配慮なんだろう。

他のヒトがムスメの興味を引いたなら
そのヒトから学ぶのだ!
そうしてよりよいマザーになろうというのも
なんとなく人間っぽい。
自然派とかも、まあ最初はそういうところからなんだろう。

「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の
プロスペラとスレッタを考えてしまう。
ちょうど次週が最終回というタイミングなだけに。
そして私は先日「母性」という映画を見たばかり。
さらに今年、私の末っ子は社会人となり子育てを卒業という。

母について考えろというシリーズなのか。
私がそういうのを無意識に選んでいるだけなのか。

子育てが卒業しようとも、私が母であることは終わらない。
母になったら、あとは死ぬまで母になったまま。
(子どもに対しては、であって、夫(いないけど)や彼氏に対してではない)

士や師のつくお仕事って、
「そういう生き方」
みたいなのがくっついてもしっくりくるなと感じているのだけれど
(たとえば、「生き方としての医師」「生き方としての弁護士」みたいな。
私の場合だと「生き方としての事務員」は今一つしっくりこない)
母って「お仕事」もそんな感じがする。
父ってなんか、いつでも降りられるけど、母はなかなか降りられない。
たとえ子どもを手放して自分で育てていなくても、だ。
出産が傷跡・痕跡・聖痕のように残るイメージ?
物理的には確かにそうなるんだけど、そういうことでなく。

フランス語だと職業の前に冠詞をつけないんじゃなかったっけか。

映画としてどうこうより
なんかやたらめったら考える深みにはまっていくきっかけをくれる
謎の映画。

おしまい。

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