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ショパンの調べで踊るバレエ「椿姫」を鑑賞してきました
論理的に筋の通った文章を書かなくても良い時もあるのではないかと常々思うのだけれど。
我に返ったのは3幕のアンダンテ・スピアナートが流れたあたりだったかもしれません。
ピアノ単体の演奏でなく管弦楽バージョンだった…などという左脳で分析可能な事は、陳腐に感じられてしまうため、しばらく論理と秩序のない右脳だけで舞台へ没入することとなりました。
1幕の最初から、2人の悲と喜、苛立ちと温かさ、嘘と真実、愛と憎。
表裏一体のあらゆる感情が身体の動きで丁寧に表現されていました。
悲しくて嬉しく、憎みながら愛するなどの多面的な感情がそこにありました。
一瞬の動きが憎しみを゙表したかと思えば、次の瞬間身体を゙相手に委ねたり。感情の移ろいの表現がとても豊かで。
音の移り変わり、1音とともに身体の動きをつけることで感情のブレを表現するところもあれば、音程の上昇や下降でそれらを表現するところもあり大変面白かったのです。
舞台に目を大きく見開き、そして音楽を聴いていました。
いつしか物語は恋の奈落の底へ。
底へ底へと。
恋に落ちる、恋に堕ちる。
恋におちる、とは良く言ったものです。
色々な解釈があるでしょうが、私の頭の中は椿姫とマノンの物語からは早々に遊離して、ただただ、ジョルジュサンドとショパンのことが脳裏を駆け巡っていたのです。
人生の一時期マヨルカ島で2人が一緒に暮らしたことはあまりにも有名です。
椿姫がマノンを鏡で見たその鏡のさらに先に、サンドが見えるような気がしたのです。
紫、白、黒のパ・ド・ドゥ(2人の踊り)は私にはパ・ド・トロワ(3人の踊り)に見えたのです。
ショパンがもし天国で
この椿姫を観ていたら
彼が愛した2つのピアノ、プレイエルそしてエラールを交互に奏でつつ
ジョルジュサンドが舞台奥に佇むのを感じていたのではないかと思うのです。