プリンに付けるスプーンで感じた強者と弱者
「さっき聞いたんですけどね」
若い店員さんのボソッと呟いたその言葉に思わず顔を上げた。
コンビニで、レジ袋の質問と聞き間違え、「大丈夫です」と言った後に、「スプーンください」と言った際の言葉。(プリンを買った)
その指摘は正しい。
でもその行動はサービス業としてのメリットは何一つなく、その正義のナイフはしまう選択肢もあったよ、と思う。
心の中で思うのと、声に出して相手に伝えることの間には雲泥の差がある。
弱者になって見えてきた世界
人生の経験を重ね、読書などで想像力を養い、いろんな立場や状況の人に想像と共感を巡らせられるようになってきた。
それでも十分とは思っていない。
「思い込みを排せ」というのは大学時代の教授が常に言っていて、一番印象に残っている言葉だ。
どんな強者でも (それ自体も本人のみの力なんてことはなく、環境要因が大きいはずだが)、社会情勢や生まれた環境、些細なきっかけで弱者の立場になり得る。
私自身も、女性であること、妊娠中、子連れの立場として、肩身が狭い思いもしてきた。
何を言わないかが品性
自戒を込めて、私にも正義を振りかざした苦い思い出がある。
相手の立場を慮っていなかった。局所的な視点しか持ててなかった。
気が強く、若かったとはいえ、恥ずべき記憶だ。
言葉に出すということは相手に届くということで、感じたこと考えたことを咀嚼してどうアウトプットするかに品性が表れるように思う。
情けは人の為ならず
会社員生活で忘れられない出来事がある。
残業時の些細なひとコマ。
同僚と雑談をしていて、仕事で余裕がなかった私はつい冷たい応答をしてしまった。感じ悪かったと思う。
当時、楽しかった思い出も、やり甲斐のあった仕事もたくさんあったはずなのに、私は今でもその場面を鮮明に思い出し、その時の後悔を定期的に懺悔するのだ。
こんなにコスパの悪い話はない。
人に対して嫌なことはしない言わない。それは自分の為でもあると、私の苦い人生経験からも思う。
だからこそ、何度同じことを言うことになっても、相手が些細な間違いをしても、それをストレートに指摘することはしない。相手を悲しませるだけの行為を私は良しとは思わない。
そして誰でも弱者の立場になり得ることに想像力を巡らせられたら、少しは優しい世界になるのではないか。
まぁそうカリカリせずに、人生楽しみましょうよ。プリンでも食べてさ。
ところで今朝やった英語学習アプリ「スピーク」の超基礎編によると、「大丈夫です」は英語で「I'm good. (Thanks.)」と言うそうだ。
次回英語圏に行った時に使ってみよう。