水イボと食物アレルギーに悩んだ幼児期
今月7歳になった息子の話。
誕生日を迎え、ふいに脳裏に蘇った。
息子は年少の時にアレルギーがあり、食物アレルギーで乳製品と魚を除去していた時期が数年あり、皮膚アトピーの関連で水イボが複数できて小児皮膚科に通い詰めた経験がある。
水イボ治療で共に泣いた日
当時この説明を読んでいたら変わっただろうか。
ただ、保育園という集団生活をする場は、感染する可能性がある疾患については、とにかく医師による診察と治療を求める。
胃腸炎とか発熱とか、何か感染の予見があることについて少しでもわかると、どうしようもなく距離をおかれることが、仕方ないと思いつつも、やるせなかった。
今でもあの時の心の痛みを思い出す。
医師と相談のうえ、当時、ピンセットで水イボをとる治療を選択し、診察数時間前から麻酔テープを貼って(10個以上貼る箇所があって、当時5歳くらい、どうしても動く息子に麻酔テープがズレて、四苦八苦した。ズレたところは治療してもらえなかった)、ピンセット治療に挑んだ。
麻酔テープを貼ったとはいえ痛かったのだろうか、もしくは怖かったのだろうか、息子はこの世の終わりかと思うくらい泣き叫び、看護師さん3人と私の4人がかりで抑えることになった。
私は息子の脚を抑えながら、一緒に泣いた。
本当にやる必要があるのか、何度も何度も考えた。
水イボが落ち着き、皮膚も綺麗になってきた今、息子のデコルテには水イボの跡のようなものがある。医師によると治療痕ではと。
お風呂に一緒に入ってそれを見る時、あの全力で泣いて暴れた息子と、嫌がる息子を宥めて何回も小児皮膚科に通ったあの日々を思い出すのだ。
※今だったら、どうせ自然治癒するのであれば、やらなくていいじゃないと思える。ただ、それは完全に後になってから言えることであって、当時の私なりの深い悩みと決断には口を挟むべきではないと自分でも思う。
食物アレルギーを宣告された日
ある日、保育園から電話があり、息子が全身に発疹ができており迎えに来てほしいと連絡があった。
眼に覆い被さるくらい腫れた瞼。
全身真っ赤に発疹ができた身体。
食物アレルギーと診断され、その日から、乳製品と魚の除去生活が始まった。
保育園の給食に該当する食べ物が出る日は、代替食を持参した。
オヤツもみんなと同じものが食べれない日もあった。
これについては親の私の方が心労がかかっていた。
いつまでこの生活が続くんだろうという不安。
アトピーの専門医を見つけ、数駅離れた病院に定期受診していたのに、治療履歴が医師に覚えられておらず、都度説明をするやりきれなさ。(子供の既往歴を全員覚えてなんて無茶は言わない、でもカルテに残しておいてくれて、診察直前に少しでも目を通してくれればとは思っていた)
丸3年ほど続いた治療。
幸いにも、就学前に食物アレルギーを克服し、今は除去はしていない。
ここまでくるのにどんだけ大変だったか。
そして今でも食物アレルギーに苦しむ親子を見て、想いを馳せる。
今、健康に誕生日を全力で喜ぶ息子に心から嬉しく思いつつ、傷を負った経験をした自分だからこそ、慎重にとも頭の隅で思う。
同時に、とある疾患で長年受診した私にいつも付き添ってくれた母の姿を思い出しながら。
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ところで、病院ってなんであんなに混むんでしょうね。
受付から会計に至るまで、もう少し DX が進んで効率化できるといいよね。