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自分の感性に正直に生きる
木下斉さんの今日も熱い Voicy を聞いて、自分の人生の岐路を思い起こした。
大学の学部選びと職業選択
大学は人生にとってどういう位置付けになるんだろう。
就職に繋がる学習(資格取得含む)
モラトリアム
学問としての学び
高校の同級生で、実家が薬局を営んでおり、大学入試も薬学部一択の子がいた。
迷いがないその姿が眩しかった。
私も就職につながる学部を検討したことがある。
臨床検査技師
看護師
※看護師は看護師体験に参加して現実を知った。
しかしどれも、私にとっては、心から情熱を燃やせるものではなかった。
知りたいことはあった。
東野圭吾の小説に没頭していたあの頃、人間の脳や記憶、ヒトの不思議を解き明かしたかった。
資格にも職業にも繋がるわけではない。
単純に「学びたい学問」なだけで、学部を選んだ。
そして、1番厳しいと言われていた教授のもとで学び、「思い込みを排せ!」と夢にまで出そうなくらい繰り返し教え込まれ、わかった気になることに厳しく叱責された。
所謂、「無知の知」を4年かけて学んだと言っても過言ではない。
そして就職氷河期の就職活動に案の定苦戦し、大学院の進学も検討しようかと考えた私の甘えを見透かされたのか、教授に「お前んとこは弟がいてまだお金がかかるんだから就職しろ」と清々しいほど現実的な理由でピシャリ言われ、何通出したかわからないエントリーシートから先に進めて内定に漕ぎつけた会社に就職した。
就職先は学部で学んだ内容とは全く掛け離れた、IT 業界だった。
だが、大学で専攻以外にも、心理学や社会学、英語にのめり込み、それが今でも血肉になっている。
※余談だが、育休中に実母に、管理栄養士へのキャリアチェンジを勧められた。食べることは続くからと。
せっかくのアドバイスを活かせず申し訳なかった。
安定した道なのはわかるんだけど、どうにも触手がピクリとも動かんのだ。
眠くならないことをしたい
今でこそ、ある程度の裁量を持って、日々何をやるべきか、考え判断し、情熱を持って仕事をしているが、なんでもできたわけでもない。
「つかえない」経験もたくさんしてきた。
いろんなバイトをし、会社を数社見たからこそ、ある程度の自分の特性や強み弱みに気付く機会を得て、仕事人生をキャリアチェンジし、サバイブできたように思う。
できないこともたくさんあったからこそ、できることに気付けるようになった。
社会人にもなってと軽蔑されるだろうか。
私は単調なタスクだとすぐに眠くなる。(書いてて恥ずかしい)
「誰でもできる簡単な仕事です」が、自分にはハードルが高いのだ。
納品物に添える納品書のフォントや罫線を統一するとプロジェクトマネージャーに言われた時は眩暈がした。
やる意義も見出せず、単調すぎるタスクに眠気をこらえることがただただしんどかった。
同じ理由で、PTA のタスクで、謎の「講演会参加」というのがあり、そんな興味のない講演を眠気を堪えて聞くぐらいだったら、運動会の片付けなどの力仕事をする方がまだマシだと思えた。
眠くなる仕事に、眠気を堪えるのが何よりしんどい。
今はそうではないだけ、幸運だと思えている。
旅先は好きな本から
世界遺産を見るのが好きで、旅行が好きだ。
いつか行きたい場所はフィレンツェのドゥオモと、南アフリカのサファリだ。
フィレンツェは「冷静と情熱のあいだ」(辻仁成・江國香織著) を読んだ時から行きたかった場所だし、
南アフリカは山崎豊子著「沈まぬ太陽」を映画で観て、その映像美に魅せられ、いつか行きたい場所としてリストアップしている。
美味しいご飯は、私は和食や、日本で食べる中華やイタリアンが大好きだ。
ついでに言えば温泉も。
だから、食とか施設とかじゃなくて、遺跡や歴史的建造物だったり自然だったり、その場所でしか見られないものを見に行きたい。
荒野を歩く人生かもしれないが、面白みがないより何千倍もマシだ。(自分にとって)
生きてるだけでまるもうけ。
生命維持と家族に迷惑をかけない範囲で、これからも自分の感性や興味関心の原石を大事にしていきたい。
人真似でも、指南書にもなく、それ自体が、見失いやすく、揺れ動きやすく、価値が高いものである確信があるからだ。