
2024が終わる
年越しがやってきますね。今日の写真は、今年の夏富士山を登った時の山頂からの眺めです。残念ながらご来光は見えませんでしたが、美しい景色と澄んだ空気に一気に心を奪われた朝でした。
秋があっという間に終わって、M1とクリスマスが終わって、気づいたらもう年末。早い、早すぎる。今年は特に10,11月の記憶がありません。淡々とした日々だったからなのか、それだけ密な時間を過ごしていたのか、早く感じる理由はよく分かりません。
ここ最近、幸せなことは一定数ありつつも、同じくらい凹んだり悩んだり、人に言えないような失態等々がありまして、冬の寒さにも耐えきれず、ウィンターブルーを見事に喰らっております。
突然なのですが、皆さん“この人になら何でも言える”という人はいますか?
友達、家族、恋人然り。
なんでも、というのは、躊躇なく自分の思いや感情、日々起こっている出来事、その日嬉しかったことや悲しかったこと、相手に対して思っていることなどです。
この人の前なら緊張せず、力が抜けて、自分の言いたい事、考えている事、思い浮かべていたちょっとした事だって簡単に言葉にできる。議論が白熱する、みたいな。
というのも最近、私はその“何でも言える”に喰らっておりまして。友達、恋人、さまざまですが、何でも言われる側になると辛いんですよね、結構。
12月にもなってくると新学期から構築した人間関係は安定し、見極めの段階などは超えて、慣れや馴れみたいなものが出来てきます。ここまで来ると新しい出会いというものは少なくなりますし。
半年以上も一緒にいれば、相手のことがよく分かってきます。相手の行動傾向や経験も把握するようになってきます。そうして程よい仲の良さが構築されてくると、まぁ少なからず相手の嫌な部分、合わない部分、価値観の違う部分を少しずつ認識するようになるなぁと。
恋人や友達、家族などそれぞれのコミュニティでまた変わってくるとは思いますが、私は少なくとも最低限の配慮、気遣いはどんなに親密な関係を構築し終えても必要だと思っています。親しき中にも礼儀あり、ってやつですね。
言えばモヤモヤが取り除かれてスッキリするから、衝動的な言葉を投げつける。それは、自分にとってはもしかしたらプラスに思えることかもしれません。
もっとこの人と仲良くなりたいからこそ、ダメなことはダメ、嫌なことは嫌だと言えないと長い目で見た時にあとで爆発するかもしれないし!とか、ここまで仲良くなってりゃあこの言葉を言ったぐらいじゃ関係は破綻しないだろう、とか。
良い解釈をしてしまえば、それだけ相手との信頼関係が構築され、お互いにとって安心する環境を作り出せているということかもしれません。
ですが、自分自身に向けられる、負の感情を交えた衝動的な言葉というのは、かなり人を傷つけます。
だから「正直なこと言って良い?」とか、「〇〇だから言えるんだけどさ、」とか「本当申し訳ないんだけど一個だけ言わせてもらうとすれば、」とか。そういう前置きの言葉が、私は結構怖いです。
かなりの高確率で、その後に続く言葉は自分への負の言葉だったりするので。ふつうに、悲しくなります。
「〇〇にはなんでも言える」
嬉しいですよね、私にだけ向けてくれる、私だから向けてくれる言葉があるんだ、と思えれば。
でも、そこに指摘というか、過激な、衝動的な言葉があった場合は、笑顔で取り繕ったとしても心の中は結構泣いてます。
難しいですね。
以前の記事にも書きましたが、なんでも、の中に相手を傷つける言葉や、衝動的かつ感情的な言葉は含まれてはいけないと思うのです。
どんなに親しい人でも、自分に向けられた怒りや悲しみの言葉というのは結構刺さります。負のトラウマとして残ることがあります。
言っていいことと、言いたいことの均衡をうまく取りたいなと思う今日この頃です。難しいです。
毎度の如く、最近摂取した、苦手な冬を乗り切るためのキラキラの記録です。




東京駅八重洲口から出たらリスいました!



会場から出たら今年最後の満月が見えました。



26日でもカップルが沢山いました



(行幸通りを真っ直ぐ歩いていくと皇居へ)


3回引いて3連続この犬さんが出ました

ど真ん中の席はやっぱり最高ですね
バイトの休憩なうです。シチュー食べております。あと3時間、頑張ります。今日はバイトを辞めることを店長に伝えてこようと思います。潔く生きたいこの頃です。
皆様、体調にはどうぞお気をつけて良いお年をお迎えください!!2024年、本当にありがとうございました。