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罪悪感の所在、正体
2024年が終わった。
最近幸せな事はありましたか?と問われれば、結構ぽんぽんとエピソードを挙げられることに昨日気が付いた。
年末には落ち込む出来事がいくつか重なったが、それも年始の、無条件に設定されているイベントに乗っかってしまえばどこかへ吹っ飛んでいた。
私は今幸せだ。
中高時代の、死にたい消えたい居なくなりたいの三拍子が揃った、目先の嫌なことにとてつもなく絶望し、先々のことを渇望することのみに焦点を当てた、辛くて孤独だったあの時と比べてみる。
自分のしたいこと、行きたい場所、思うようになっている。思っていること、言えている。言える人がいる。好きな人がいる。家族がいる。
客観的に見ても私は今幸せだろう。
でも、美しい景色を見た時、大好きな人と時間を過ごす時、何のしがらみもなく笑っている時、幸せだなぁと一度引いた目線で思った時、思えた時、思い出す人がいる。
罪悪感を感じる。
君と確かに同じ世界線にいて、君の苦しみを確かに共有していたあの頃の自分。君と一緒にいることが心地よかったあの頃。
孤独を自ら望んで、逃げていた。君に似ている部分もあると思っていた。だからこそ君とする話が楽しかったし、君の苦しみを理解できた気がしていた。
それでも結果的に、君はいなくなって、私は生きている。
君も生きてれば幸せになれたのに、なんて無責任なこと言えない言わない
でも私は幸せになるって決めていた
2024年の春、君が死んだことを知って、自分を責めて、でも君がもうちょい生きてりゃ良かったなぁって思えるぐらい、私は幸せになるって決めていた
変な覚悟みたいな、気持ち悪くて傲慢な意志みたいな
でも、振り返って、多分君から見ても私は幸せそうに見えたと思う
確かに幸せだったよ
でも君がいない
君とまた話したいと、日常を過ごす中でよく思う
いつも教室の一番後ろの席で君と話をしていた
君はいつも私の方に向き直らないで、横を向きながら顔だけこちらを向けて、笑ったり沈んだ目をしたり私の馬鹿な間違いに突っ込んでくれたりしてた
あの頃も多分君はずっと苦しかったけど、私は君と話す時間が楽しかったし、君もそう感じてくれているんじゃないかって勝手に思っていた
あの時も私は確かに幸せだった
君が生きながら苦しみを抱えていた時の幸せには何の罪悪感も抱かなかったのに、君がいなくなってからの幸せにはぼんやりと罪の自覚が芽生える。傲慢なだけ
でも、「彼のことだから、死んだと言うこと自体が嘘で、私たちは全員騙されてるみたいな、そんな気がするんだよね」
って言ったアイツを私は結構許してないよ
よくもまぁそんな呑気なことを言えるものだ
彼は死んだのだ
遺影を見ていなくても、お線香をあげていなくても、彼は死んでいるじゃないか、明らかじゃないか!
なぜ分からない?なぜ逃げようとする
なぜ君達は幸せになることに何の罪悪感も抱かないんだ
クソだ
幸せになるななんて言わない、ただ、彼が死んだという事実から逃げようとするお前らが私は許せない
もう何の怒りもないと思っていた
だって君達とまた笑顔で話せたから、
でも君達は避けようとする、彼の死を乗り越えたみたいなふりをする
違う、それは逃げだ
逃げている
忘れる、逃れる、なぜそんなことが出来る
正気の沙汰じゃないのか
死は必然だった、とかそういう話じゃない
違うじゃないか!
彼が死んだということに、心の底から絶望し、彼と共有したあの時間を渇望し、悲しい、辛い、と一度でも感じたか?
違うのか?君たちは器用だから、そんな感情をひた隠しにしているだけなのか?私が不器用すぎるだけなのか?幸せの絶頂を感じた時に急に泣き出す私が醜いのか?私がおかしいのか?
深い苦しみを君たちも味わったのか?
私は逃げていないはずだ、ちゃんと向き合った
では、絶対的に消えないこの罪悪感の正体はなんだ
恋人ができたって言ったら彼はなんて言うかな
って友達に聞いてみたら、「すごく素敵だね。すごく素敵な恋をしてるね。って言ってくれるし、彼なら絶対そう思ってるよ。」と言ってくれた
私は今幸せだよ、と言えばまたあの笑顔を向けてくれるだろうか
もし私が謝ったら君は怒るだろうか
君は、もっと怒って良かったよ
あいつら、世界、親、教師、私
全てに怒りを向けて良かったよ
君は君ばかりにその怒りを向けていた
いや、違うか
最後の決断は全てに向けられた怒りの表明だったのかな
僕が死んでも世界は何も変わらない?
ふざけないでほしい
私は明らかに変わったよ
(追)
新年早々ここまで語気の強い汚い言葉で書いた記事を投稿するつもりはなかったが、早朝の電車でモヤモヤとした感情を衝動的に書き進めていたら止まらなかった
だが、私は私の中に芽生えた負の感情も見逃したくない、見逃さないようにしたい
怒りは誰も幸せにしないかもしれない
だけど、今年は自分の感情と素直に向き合って潔く行動すると決めた
不快な気分にさせてしまった方がいたら本当にすみません
そろそろ最寄りに着きます
もともと新年に出す用に書き進めていた記事はあったのですが、2025年初っ端からこんな怒りの衝動ぶちまけ記事になってしまいました
穏やかにね、皆の前では穏やかに。
切り替えて学校行ってきます
テスト頑張ります
最後にとても無責任なことを言います
死んでも世界は変わりませんが、あなたを取り巻く人間は明らかに変わります
どこにも向けられない怒りが生まれます
地獄を見てしまえと呪いたくなるような奴もいるし、理不尽な出来事も沢山ありますが、死んだら本当に本当に何もかも変えられません。
だから、画面上の無責任な言葉は響かないかもしれないけれど、
どうか死なないでください
フォロワー様、フォローさせていただいている方、おすすめに流れてきた素敵な記事もいつも楽しく拝読しています。
傲慢な終わり方ですね、どうしよう、テンション差が激しすぎますが!
2025年もどうぞよろしくお願いいたします!
2025.1.8
risui