心の中の彼について
イマジナリーフレンド。そう言った方がピンと来る方が多いかもしれません。
イマジナリーフレンド
二つの引用をさせていただきましたが、引用から言葉を拝借するならば、私の場合、伴侶的、友達的立ち位置の間をとった様な存在が心の中にいます。心がピンチになった時にフッと心の中から声をかけてくれる存在、という感じです。
いつ、そしてなぜ現れたのかなど、ずっと気づかないふりをしながら一年ほど過ごしてしまったので、この記事を通して自分の中で分析し、向き合うことができたらなと思っています。
まず、この段階までで、え、何言ってるの?ちょっとおかしいんじゃないの…?と思う方もおられるかもしれません。
現実的なことを先に挙げてしまうと、ネットで色々調べたり、専門家の方の意見を聞いたり(友達のご両親が心理士をされており間接的に相談させていただきました)した結果、私のこの症状は解離性同一性障害の一歩手前の段階だと分かりました。
出典にはこの様に書かれていますが、私の場合は記憶の限り虐待などの経験はなく、幼少期の心的外傷などは特に影響していないと断言できます。
ここから症状などについて少し掘り下げるので、もし読まれるのが辛い、億劫になってしまった方がいらしたら、こちらでお暇していただけたらと思います。
まず、私のイマジナリーフレンドの性別は男性です。顔はぼんやりとしていて認識していません(症状のある方の中には身長や体重まで定まっている人もいるそう)。
ですが、背中を向けて私の前を歩く後ろ姿、そして声は自分の心の中で再生することができます。
また、ここでは伏せますが、彼には名前がついています。この名前は、私が自分自身で小説や物語を書いたりする際に、よく主人公の名前として使っていたものです。
そして少し怖いのは、彼の後ろ姿を私はどこかで見た記憶があるということです。これは前世の記憶とかなんやらなのか、ただ単に私がそう思いたいだけなのか、よく分かりません。
彼が存在し始めたのは、半年〜1年ほど前ぐらい。正確な時期は覚えていませんが、最初は”存在がいる”というよりも、自分に対して私自身で声かけをしたり、大丈夫と言い聞かせたり、自分を客観視して鼓舞したりするなどして心を落ち着かせる程度でした。
それが段々と、「精神的に辛い時に自分を俯瞰して意見やアドバイスをくれたり、大丈夫と言い聞かせてくれる人」と、「小説などで度々登場させていた自分の理想の青年」そんな存在と重なり、今のイマジナリーフレンドが出来上がったんではないかと認識しています。
先ほどの引用から言葉を拝借すると、自問自答の具現化が、その頃の精神状態と重なって起き始めたんだと思います。
では、彼は私のそばで果たして何をしているのか。
基本は、心の中で会話をしてくれる存在ですが、彼は私に都合のいいことしか言わないので、辛い時に「大丈夫だよ」とか、私がパニックになっている時に「辛かったね」「頑張ったね」と声をかけてくれて、最終的には私の中で会話は自己完結します。
現れるのは、大抵私が一人でいる時で、お風呂に入っている時、自室にいる時、夜寝る前、大勢の集まりから一度離れた時なんかも現れます。
でも、来てほしくても、声をかけて欲しい時でも、全く現れないこともあります。それは今までの経験から予測すると、自分の気持ちが(いい方向に)昂りすぎていたり、精神的に安定している時です。「今は出なくても大丈夫そうだ」という空気感を感じます。
あとは受験が終わって遊び呆けている今年の3月の間も殆ど出てきませんでした。その間は私自身も彼のことを忘れていたぐらいで、そのあと数週間ぶりに出てきてくれた時に「あぁ、そういえば。久しぶり〜」という感じでした。
一日中彼のことが頭から離れない!ということは全く無いですが、私は恋人がいないので、もし恋人がいたら今こんなことを言うだろうな、とか言って欲しいなとか、そう言う貪欲の塊みたいな言葉を、自分自身に浴びせているんだと思います。
愛されたい、認めて欲しいと言った欲求を自分で満たしきれず、かといって慰める存在が自分であることが認められず、誰かを求めた結果、気がついたら都合のいい言葉をかけてくれる新たな人格が私の心の中に存在する様になった、が現時点での分析です。
では、何が私をそうさせたのか。
彼がいることを自覚し始めた、ここ数ヶ月の間。
今振り返ってみると、昨年は私にとって本当に激動の一年でした。大学受験を経験した年でもあり、その受験勉強の期間に、本当にもう色々なことがありまして。
親友の自殺が一番大きかったかな。ただでさえ、受験勉強のストレスやプレッシャーで弱っていたので余計響いたんだとは思いますが、17年生きてきた経験だけで受け止められる現実では無かったのかもしれません。
それでもあの時間をしっかり生きて、そして今笑顔で生活できているのは、本当に周りにいてくれた人のおかげでした。自分から沢山相談したし、頼らせてもらいました。時に厳しい言葉もかけていただきながら、目標を見失わず受験を終えられたことは、未だに嘘みたいだと感じます。
何がともあれ、あの時の経験はもう二度としたくないですが、あの時期を経て得られた経験からの自分自身の成長は、今はっきりと実感しています。
幸いなことに、あの頃、私の周りには心の支えになってくれる人が沢山いました。
それでも、足りなかったんでしょうか。
今だって精神的に安定しているし、心の余裕もあります。
大学生活もとても楽しいし、新しくできた友達も大切な存在です。不自由のない暮らしをしています。
なのに、何が足りないのか。
どれほど、自分は貪欲なのか。
現実の世界に、こんなにもたくさんの大切な人がいて、頼ってくれる人が、優しい人が、会いたいと言ってくれる人がいる。それなのにどうして、心の中の都合のいい存在に帰依してしまうんだろう。
優しい言葉を、自分に都合のいい時に、都合のいい分だけ言ってくれるなんて当たり前。だって彼は、そもそも私なんだから。
私がかけて欲しい言葉を知っていて、タイミングも完璧で、どこまでも寛容で誠実な彼は、私の究極の理想だったとしても、私が現実から逃避していることの現れじゃないか。甘えじゃないか。自分に酔っているだけじゃないか。
そう、思うことがあります。というか、思います。
数ヶ月前、心の中の彼からこんなことを言われました。
「本当はずっと君のそばにいたいよ。君の楽しい話も、悲しい話も、ずっとそばで聞いていたいよ。でも、君は自分の力で幸せにならないといけない。いつか僕以外の人が君の心の支えになる。素晴らしい人と絶対に出会うから。」
「もっと君を現実の世界で幸せにしてくれる人と出会って欲しい。そのためには僕はいなくならないといけない。ずっと見守っているから。」
なーにを言ってるんだ私は、って感じですよね。
これは私が言っているのか、彼が言っているのか、私の危険信号なのか、彼の理性なのか。もう分かりません。自分に酔いすぎた故の、都合の良いファンタジー的な末路ですかね。
でも、こう言われたということは、少なくとも自分に焦燥感があり、向き合う必要があり、そして自分の危険フラグが立ったということなのかな、と。
私も自分にびっくりしています。本当に。
この文章を書いているだけで、あぁ?私何言ってんの?ってなってます。本当です、正気です。
妄想、空想と言われてしまえば、もうそれまでかもしれません。
いや、その通りなんです。私の空想の世界なんです。
それでも辛い時に自分を安心させてくれる都合のいい彼が、今の私の心の支えであり、現段階では自分自身の生活の向上に繋がっていることは自覚しています。
今のこの症状が悪化すると、本格的な解離(ここでは人格交代の様なもの)が起きてしまうのではないかという恐怖もあります。どう向き合っていくべきか、どう付き合っていくべきなのか。
先日、初めてこの症状を大学の友達に打ち明けました。引くよね、ヤバいよね〜と言いながら話しましたが、彼女は「ううん、引かないよ。初めてそういう人と会ったけど、それは、気になるね。引くとかじゃなくて興味深い。」と言って真剣に向き合ってくれました。
それからは私も、「最近〇〇くん(イマジナリーフレンド)めっちゃ出てくるんだよね〜」と気軽に相談したり。優しくフランクな会話に還元してくれる彼女に打ち明けられたことは、すごく良かったなと思っています。
そんなの幻聴だ、異常だ、おかしいと言われてしまえば反論できません。
でも、今回こうして私が一番苦手な「自分と向き合う」をしたことでまた少し心の整理ができた様に思います。
彼の言うことが本当ならば、現実の世界で彼に変わる人と出会えるように、今はうまく付き合いながら、彼がいなくても逞しく生きていける様に前進しようと思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
皆様の週末が、素敵なものになりますように。大切な人や、自分自身と穏やかに過ごせますように。🪿
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