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「普通」という言葉が嫌いだ。
昔から、「普通」という言葉が嫌いだ。また、「常識」という言葉も同じくらい嫌いだ。
「普通は〇〇だよね」
とか、
「常識で考えたらこうだよね」
みたいな話をされると、とたんにつまらなくなって、やる気がなくなる。やる気がなくなるから、やれない。その「勝手に決められてる感じ」がどうしても無理だ。
でもこれは、自分の性格においてあまり長所な部分ではない。ずっとそう思ってきた。なぜなら、一般的に「普通」とされることや、「常識」に沿っている人の方が、うまくいっているように見える場面を何度も目の当たりにしてきたからだ。
ところが、自分はそれができないタイプの人間だった。できないものはどうしようもない。それだけのことだと思っていた。
しかしここにきて、その潮目が変わってきていることを感じる。「普通」や「常識」に沿って行動していた人は、急に自分の頭で考えて行動を選択していかなくてはいけない場面になった時に弱い。自分で考えるという土台が構築されていないイメージ。
それに対して、「我が道を模索」してきたタイプは、それがうまくいったかどうかは別として、曲がりなりにも自分で考えるという土台がある。だからこういう変化には比較的に強い。じゃあつまりは、
うまくいっているように見えてたものは、
今考えるとそれは一時的に過ぎなかったと言うこともできるし、
自分がうまくいっていないように見えてたものは
今考えると「準備期間だった」とも捉えられる。
もちろん今の状況も、自分にとって超絶バブルみたいなものではないが、「普通」や「常識」を押し付けられて、それを受け入れないと問答無用で道から外されてしまうような時代よりは幾分かマシだと思っている。
まとめると
少し大袈裟な言い方になるけど、自分のバランス感覚的には、おさえなきゃいけないと思っていた自分の「考え」を、もっと全面に出していいんだ。
そういうこと?!ありがてぇ。。ぐらいの感覚でいこうという今日のアウトプットでした!
読んでくれた方ありがとうございました!
※
RISICARE(リジカーレ)とは、イタリアの表現で、
「勇気を持って試みる」
という意味の言葉です。僕はこの言葉が好きで、常に忘れたくないので、うちの会社名にしました。
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