「女記者が見た、タイ夜の街」第4回:夜遊びにも「タイパ」と「モラル」求める新世代
■「タニヤはダサい」
「タニヤなんてモテないおっさんが行くところ。女性と話すために金を払って、なにが楽しいか分からない。それならクラブに行って素人をナンパしたほうがよっぽど楽しいよ」
そう話すのは、タイに駐在経験のある20代の日本人男性、A氏だ。A氏は食品関連会社で働き、バンコクに2年間駐在していたが、かつて日本人でにぎわいを見せていたタニヤ通りに行ったのは、付き合いで一度きりだったという。
「それに・・・なんというかタニヤの雰囲気って、すごく古臭くて、ダサい。あそこに行くなら、バンコクのおしゃれなルーフトップバーで、普通に女性とデートがしたい」
「プロローグ:タニヤで見た沈みゆく船」でも記述した通り、タニヤは日本の経済成長とともに発展してきた、日本人専用とも言える歓楽街で、多くの駐在員や出張者に癒しを与えてきた場所だった。
しかし、A氏のように、若い日本人男性の間では最近、「タニヤには自ら進んでは行かない」という声が多く聞かれる。
■性接待も効率化
その傾向は、性接待の場にも表れている。
タイ在住歴10年以上の経営者、B氏(30代)は言う。
「タニヤはカラオケクラブ形式の店が多くて、お客さんの好みの女性が見つからないと、2軒目、3軒目となって、とにかく時間がかかる。それなら女性がたくさんいるゴーゴーバーに行って、さくっと連れ出す相手を選んで帰ってもらったほうが、接待するこちらも楽なんだよ」
ゴーゴーバーというのは、女性がステージ上に立って露出した姿で扇動的な踊りを見せるバー。お気に入りの子を席に呼んで会話し、店から連れ出してセックスすることもできる。
一方のタニヤでは、日本式のクラブが多く、ソファに座って女性と話したり、カラオケでデュエットしたりするのが主流。店から連れ出すこともできるが、それまでに時間がかかる傾向があるという。
一夜限りの相手選びとしては、少数の女性らと長い時間を過ごすよりも、短時間で多くの女性を見比べられるという点で、ゴーゴーバーや、またフリーランスのセックスワーカーが集まる援交カフェ「テーメーカフェ」が好まれているという。
■不人気な立地
タニヤ通りから若者が離れた理由として、もう一つ大きいのが立地である。
冒頭のA氏は、「タニヤはスクンビットから遠いから、行くのが億劫」と話す。
スクンビットとは、日本人が多く住むエリアで、タニヤから約5キロの場所にある。通常なら車で15分ほどの距離だが、渋滞が深刻なバンコクでは、帰宅ラッシュ時の移動に1時間以上かかることもある。
日系企業のタイ進出が本格化した1960年代、かつて日本人駐在員の多くは、バンコクのビジネスの中心地、サートーンエリアに居住していた。タニヤはこの方面にある。
その後、日本企業のタイ進出加速に伴って日本人駐在員が増加し、また単身世帯から家族世帯の駐在が増えたため、日本人学校が近いスクンビットエリアに日本人が集まってきたとされている。日本人御用達の病院やスーパー、日本食レストランも、スクンビットエリアに多い。
同時に、タイの急速な経済成長に伴い、1999年には高架鉄道(BTS)が開通するなど、スクンビット通り周辺の開発も加速的に進んだ。ゴーゴーバーやナイトクラブなどの夜遊びスポット、おしゃれなレストランやバーなども、このエリアに集中しており、日本人の駐在員や旅行者の姿もよく見かける。
■アプリで毎月デート
さらには、近年はマッチングアプリが普及し、場所を問わずとも、女性と出会える時代になった。
自動車部品メーカーの駐在員、C氏(30代)は、コロナ禍でマッチングアプリをはじめ、毎月さまざまな女性とのデートを楽しんでいる。
「バンコクは狭いから知人がいたり、レディーボーイ(女性に性転換、もしくは女装した男性)がいたりすることもあるけど、近くにいる人と効率よく出会える」という。
手っ取り早い出会いの方法が誕生したいま、わざわざ女性に会うために、タニヤなどの歓楽街にまで出向かなくてもよくなった、というわけだ。
女性の自分からすると、「効率でセックスする相手を選ぶのか――」と苦々しく思うが、かけた時間に対する効果や満足度を重視する「タイムパフォーマンス(タイパ)」の時代で、セックスも漏れなくその対象になっている。
■人権意識の高まり
一方で、近年は効率面だけでなく、モラルの面からも、これまでの男性による夜遊びの振る舞いに疑問を投げかける若者もいる。
「カラオケクラブに行った時、人格者だと思っていた既婚者の上司が、ホステスとディープキスをし始めて幻滅した。そもそも、女性を金で買うという行為が好きじゃない。夜の街は、楽しく飲めればそれでいい」(弁護士、30代)
このように、人権が重視される現代で、買春に対して批判的な目を向ける男性も増えている。
■「日本人の買春旅行 世界の醜聞に」
人権意識が高まっている背景には、過去の歴史も影響している。
タイの性的娯楽を一大産業にまで発展させたきっかけはベトナム戦争と言われており、1967年には、ベトナムに駐留している米軍兵士がタイで休暇を過ごすことを許可する「レスト・アンド・レクリエーション」条約(R&R条約)が締結された。
当時は小さな漁村だったパタヤの娯楽産業の開発が進み、1974年にはバー、ナイトクラブ、売春宿などの娯楽施設が2万軒以上あったと伝えられている。R&R条約によって、米軍兵士がタイに落とした外貨は、1967年の500万ドルから、1970年には2,000万ドルに急上昇したという。
一方で、ベトナム戦争が終結して米軍兵士らが去ると、タイ政府は「外貨収入の確保」と「性風俗従事者の失業」という問題に直面する。そこで、観光産業を振興し、外国人観光客を娯楽産業の新たな客層にしようとする政策を開始。これに呼応するように、世界各国から「Cheap Sex(安い性)」を求めて、タイへの買春ツアーが組まれるようになった。
高度経済成長期の日本でも、海外旅行に気軽に行けるようになると、出張、社員旅行、研修旅行という名目で、男性だけが参加する会社ぐるみの買春ツアーが頻繁に行われるようになる。
日本人のこうした目立った買春ツアーはタイだけでなく、韓国やフィリピンなどにまで既に及んでいて、現地住民の間で非難が相次ぎ、報道が過熱した。1980年8月8日付の読売新聞には「日本人の買春旅行 世界の醜聞に」「日本の母親は男の子をどうしつけているのかー日本人全体の問題だと追及されたー」との見出しがついたほどだ。
81年1月10日付の同紙では、タイ字紙タイ・ラットの社説として、「日本の農民が大きな収入をあげ、タイに享楽を求めに来るのに、なぜタイの農民は飢餓的状態で、娘を外国人に抱かせなければならないのか」との一節を引用している。
■日本大使館で買春抗議デモ
同じ時期、こうした状況に見かねたタイの女性団体が中心となり、在タイ日本大使館周辺で買春ツアー反対デモを行う。当時タイを訪れていた鈴木首相は、買春観光反対の抗議文をつきつけられる事態となった。
(当時のデモの様子はこちらのサイトで視聴可能:https://www.britishpathe.com/asset/225879/)
これを受けて、日本の運輸省観光部(当時)は81年、買春ツアーと分かる広告を出していた旅行会社に対して警告文を出した。これをきっかけに事実上、買春ツアーは組めない規定が作られ、大っぴらな形では買春観光が実施されなくなった。
なお、セックスツーリズムを促進して外貨収入を稼いできたのは、他ならぬタイ政府なのだが、政府内でも売春に対して強く反対する勢力と、合法化させたい勢力が対立しており、タイ特有の仏教思想や文化が複雑に絡んで、一枚岩にはなっていない。この点については他の回で詳しくみていくことにする。
また、タイだけではなく、こうした買春観光への抗議活動はアジア各国で行われ、日本の女性団体からの非難も相次いだ。こうした国内外の厳しい意見を受けて、日本人の買春への見方や人権意識は十分とは言えなくとも、少しずつ改善してきたのだ。
日本経済の失速やタイの物価上昇、バーツ高の進行に加え、タイパ重視の接待、デジタル化、人権意識の高まり――。タニヤ衰退の理由を紐解くと、日本社会の移り変わりがまざまざと見えてくる。
一方でそこにはまだ、かつて羽振りが良かった日本人客を待ち続ける、多くのタイ人女性らの姿がある。タニヤの衰退は、そうした女性らの生活を路頭に迷わせることにもつながるのだ。
本質的な解決の道は、一体どこにあるのだろうか?
次回、「スラムから這い上がった女性たち」で考察していく。
●参考文献
タニヤの社会学(P.55、日下陽子著、めこん、2000年)
Muroi, H. and N. Sasaki 1997. 'Tourism and prostitution in Japan." In Gender, Work and Tourism, M. T. Sinclair, (ed.). pp.180-219. New Yark: Routledge.
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