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しょうらいのゆめ

将来はコピーライターになりたいなと
言い始めたのが
ちょうど高二くらいだった気がする。

理由は単純で、
高一の冬にキャッチコピーのコンクールで
応募総数のうち0.07%くらいしか取れない賞を
受賞させてもらって、
小学校の時の作文コンクールとかも
賞とってた部類だったので
この分野なら自分いけるかも、と思って
コピーライターなりたいと言うようになった。

そこに新しい夢が加わったのは
いつだっただろうか。
高三なのは確かなんだけど。
作詞家になりたいと思うようになった。
コピーライターへの思いももちろんあるけど、
作詞家になりたいという思いを
ちゃんと持つようになった。

もちろん、
コピーライター云々のところで述べたように
言葉に対する少しの自信があってこそ持った夢
なんだけど、それがこの方向に傾いたのは
いつも聴いてる音楽の影響かもしれない。
自分の好きな曲のどこが好きって聞かれたら、
私はどの曲でも大体歌詞が好きだ。

それに加えて、私は人見知りである。
いわゆる、「心はおしゃべり」ってやつ。
ある程度慣れた人相手ならめちゃくちゃ喋るけど
目上の人とか、会う頻度が多くない人は
全く喋れない。
他県に住む祖母すら話せない。
でも、根はとってもおしゃべりで、
言葉が沢山私の中に蓄積されていく。
そんな時、詞にすれば
言いたいことをまとめて言える。
それに、頭の中を言葉という形にすることは
考えを整理整頓することにもなる。

多分そういう理由で作詞家になりたいんだと思う。

その思いをさらに強くしたのは
受験期にぶち当たった大きな大きな壁だった。
私は謎の破天荒さで、
受験で使う社会科目を
世界史から政治経済に変えたために
政治経済の勉強をほぼ独学で、
しかも約7ヶ月ほどで
難関私大レベルまで仕上げなくちゃいけなかった。
最終的にちゃんとMARCHには受かれたから
良かったものの、
秋ぐらいの時期は成績が停滞していて、
どこにも受からないんじゃないかって
毎日不安だった。
その不安は私だけのものじゃなかったらしくて、
私の人生の中で1番苦しかった日の話。
11月1日だった。
たまたま塾に行く前に、
机の上に開いて置いてあった
母の日記を読んでしまった。
そこには
娘の将来への漠然とした不安が書かれていて、
一人っ子の私は
ものすごい重い何かに乗っかられて
潰されてしまいそうになった。
その日は塾に行っても全然集中できなくて、
とりあえず塾のすぐそこにあるファミマに行って
小さいメモ帳を買ってきた。
そこに思ってることを全部吐き出した。
そしたら少し楽になって、
呼吸もまともにできないくらいに(ガチ)
余裕がなかった心が
冷静な思考を取り戻した。
でもやっぱり落ち着かなかったので、
その日は早めに塾を出て、
誰にも内緒で1時間だけカラオケに行った。

それがよかった。
誰にも言えず、1人でしゃがみこんでいたところに
カラオケの画面に表示される歌詞たちが
手を差し伸べてくれた。
音楽の力、言葉の力って大きいなと感じた。
その日の日記にはこう書いてある。
「誰かの心を変える、救う、
作詞家になりたい
結局人は皆、独りで苦しんでる
その時、曲とふたりきりになれる
作詞家になりたい」

人生で1番未来への希望がなかった日に、
私は未来の夢への思いを固めた。

まあそんなこんなで今は将来の夢を聞かれたら
「コピーライターや作詞家になって誰かの心を救う」
と答えているわけです。

でも最近は現実も見るようになったし、
もっと大きな夢も見るようになった。

でもね、
なにか行動を起こさないと
小さな夢も大きな夢も叶わなくなっちゃうから、
その話はまた今度行動を起こしてからお話します。

長くなってしまったのでこの辺で。

草々

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