#15 希望さえあれば、人は生きられる。現代の人全員に観て欲しい、壮大な人間讃歌 -「ラーゲリより愛を込めて」
誰かにオススメしたい作品。
たくさんあり過ぎて選べませんが、一番最近に見た映画がとてもよかったので、ここで紹介したいと思います。
二宮和也さん主演の「ラーゲリより愛を込めて」という作品です。
私がこの作品を観て一貫して感じた強い思いは、「私たちの生活は時代によってもたらされたものではない」ということです。
「今の時代に生まれてよかった」と言うことはよくありますが、今の時代は先人たちの血と涙の結晶によって築き上げられた、現時点における最善のシステムです。
このシステムが出来上がるまでに、何万人、何十万人、何百万人という自分と同じ人たちが、自分の大切な人と未来への希望を願って、過酷な現実と向き合ったという事実が存在するのです。
でもそれは、今を生きている私たちには、見えません。だから、太平洋戦争の時代、私たちと同じように、家族がいて、恋人がいて、友達がいて、そういった人たちがこの地に生きていたという事実も忘れがちだと思うのです。
先人が、私たちの世代にこの平和ボケしているほどの世の中を残してくれたように、私たちにも、今の子どもたちが今以上に幸せに生きられる未来を残していく責務があります。それは、生まれてきたときに誰もが背負うべき責務だと、この作品をみて強く思いました。
希望さえあれば、人は生きられる。
綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、私はこれは事実だと思っています。今回の作品とは別ですが、みずからユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還したV•Eフランクルの「強制収容所における一心理学者の体験」、『夜と霧』にも同じような記載がありました。
どんなに極限状態にいたとしても、人間はそこでもなお希望を見つけ出すことができるのです。どうみたって絶望しかない世界にも、希望を見つけ出し、その希望さえあれば、どんな苦しみにも耐えることができる。
人間は、どんなに絶望的な状況に追い込まれたり、理不尽にさらされたとしても、高貴に、自由に、麗しい心を持って生きることは可能なのだと、こういった作品からは学ばされます。思っているより、人間は強く、しぶとい。
今の社会では、生命の危機にさらされることなどほとんどありません。ただ、自分の存在意義がわからなくなったり、人間関係などで心が病んでしまうことはあるでしょう。多くの人が自身の実存の危機にさらされています。
そんな人には、この作品をぜひ観て欲しい。
大丈夫、あなたにはまだ希望がある。希望を持って生きていかなきゃいけない。
この言葉を、真摯に、強い覚悟を持って受け止めることができれば、自分はまだまだやれる、こんなところで負けている暇なんかない!!
そんな前向きで力強い気持ちになることができると思います。
どんなときも、愛する人の無事を信じる。
この作品では、ラーゲリへの強制収容のため、離れ離れになってしまう妻と子どもがいます。ソ連からの空襲により、満州で散り散りになってからそれっきりの11年間、妻のモジミは夫の帰りを信じて疑いませんでした。
満州で最後に二人が交わした言葉は「日本で落ち合おう」。
子どもたちは「お父さんはもう死んだよ」と言っても、妻だけは「絶対に生きてる」そう言ってソ連から日本への引き揚げ船が帰ってくるたびに、夫の名前を呼び、探し続けました。
本当に相手のことを心から愛していれば、いくら距離が離れていようが、どれだけ直接言葉を交わすことができなかろうが、心の底から相手を信じることができる。
モジミの強い覚悟と、深い愛に強く心を打たれました。
この時代の人は、好きな人と電話もメールも気軽にすることができませんでした。今だったら、話したい時に話せて、画面を通して顔を見ることだってできます。会えないとか、触れられないとか、そんなことで不満を言うよりも、愛する人が無事に、元気で生きている、それで十分。そのことがどれだけ尊いことか、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。
昔と今を比べて、今の方が幸せだよね、という話をするのは事象の見方の一側面だと思っています。今より昔の方が幸せなことだってあったかも知れません。
ただ、確実に今よりも物理的な危険が多く、満たされないことも多かったこの時代に、今の私たちには欠けてしまった強さを持って生きている人を見ると、胸が熱くなります。
食べたいものをたらふく食べれる、
明日何をしようか、当たり前のように考えて眠りにつける、
3ヶ月後の予定を当たり前のように話せる、
好きな人と毎日連絡が取れる、
仕事の愚痴を言える、
朝寝坊ができる、
そんな当たり前の毎日に感謝をして。
最後は、印象的だった山本幡男さんのこの言葉で締めます。
「最後に勝つものは、道義であり、誠であり、まごころである」