あのヒットソングを地でいく長男
子供というのは大人の思うようには動いてくれない。
して欲しいことはなかなかしてくれないし、しなくていいことはたった数秒目を離しただけで、もうしている。
そこで大人はいろいろな指導を試みる。
褒めたり、怒ったり、持ち上げたり、なだめすかしたり。
私もそのようにし、長男が気乗りしないことを嫌々なんとかこなして終えた時には思い切り褒めた。
「えらいね!」
渋々終わらせたタスクでも褒められるとまんざらでもない気持ちは大人にもあるし、SNSにおける「いいね!」が大きな価値を持つ現代を見れば、承認欲求が満たされると幸せを感じるのは明らか。よって、「えらいね」と褒められると子供は嬉しいのではないか、と思っていた。思っていたのだが、当時3歳か4歳だった長男の反応は違った。
「偉くなくてもいいから、したくないことはしたくない」
・・・その時の私は、青天の霹靂、といったような表情をしていただろう。
偉くなくてもいいから、したくないことはしたくない。
長男のセリフをリフレインする。想像していたのとは全く違う場所へ打ち返された球に戸惑いながら、いろんな気持ちがよぎった。
「えらいね」が効かない!?とか、
頑固だなぁ・・・とか。
ここで乗せられてくれたら楽なのになぁ、とか。
だけど、周りの評価の目、承認欲求をかなぐり捨ててまで「したくない」ことをこんなに明確に認識し、表現できるのはすごいな、とも思った。長男だって褒められて嬉しい気持ちはあるだろうから、褒められなくてもいいと言い出すには勇気も必要だっただろう。
それに、自分の都合で子供を動かすために、漠然とした「えらいね」なんていう安易な褒め言葉で楽をしようとした私もいけなかった。長男の行動にどういう価値があったのかをきちんと表現して具体的にそこを褒めればよかった。
「えらいね」という他人の尺度で測った価値よりも、「したくない」という自分の尺度で出した答えに重きを置く。あの時の長男は、みんなが知っているあの国民的ヒットソングの「ナンバーワンよりオンリーワン」を地でいっていたのだ。私はあの曲を聴いて「そうだよな〜」なんて思っていたくせに、知らず知らずのうちにオンリーワンよりナンバーワンに価値を置いていたのか。
時々思う。私もいつか例えば受け入れ難いお願いをされた時に、長男のような勇気と潔さを持って、「したくない」を言えるだろうか、と。
その時は長男のあの言葉を思い出して、「偉くなくてもいい」という決断を下す強さを持ちたいと思う。
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