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心情丸出し文章
3回目の心の中そのまま書いてるやつでーす。
基本頭の中そのまま書いてるだけ。3日ぐらい分が濃縮。
僕は後悔の中で生きていて、でも、未来全部に絶望して捨てようとは思えなくて、なんか、上手に生きられないなって、下手くそだって思う。
小学校も中学校も、同じような理由で友達がいない気がする。嫌われた気がする。
あーあ。なんか、人付き合いって難しい。
なんていうかわからないけど、波長?っていうのかな。
自分と同じ波長で人付き合いをしたい人だと語らずとして関係性が作れるし、困ることもそんなにないんだけど、波長が合う人なんて数年に1人とかしかいない。
高校で友達できるかなぁ。人との距離の詰め方下手くそなんだよな、私。
でも人間との関わり方を学ぶのも学校の役割だよね。
学校の先生になりたいし、コミュ強、陽キャとまではいかなくても、日常生活に困らないぐらいには人と話せるようにしたい。
今日は駅の近くを歩いてたら、よくわかんない勧誘?みたいなの受けて少し怖かったっていうのと、同級生と話してたら隣の家の人がお菓子をくれた。
同級生とは一切面識なかったみたいだけど、私の友達っていうだけでお菓子まであげるなんて陽キャだなぁって、すごいなって思った。
あれぐらい人と仲良くなれる人間になりたいね。
少し、少しだけかもだけど、元気になって、高校生活が楽しみになったかも。
でも、期待することが怖い。また病んじゃうんじゃないかって。
私は多分、仲直りができない。怖い。辛い。苦しい。そんな感じ。
何より、私が期待することを恐れるようになってしまったのは部活の部長決めの時が原因になってる気がしてきた。
あの時は、すごく怖くて、不安定、ぐらぐらしてたから。
期待できる要素は幸か不幸かいくつかあって、部活に関しては自信があった。
でも、だからって期待して、部長になれなかったらどうしようって考えたら、無理矢理にでも部長はRだって思わなきゃいけなかった。
救われたかった。助けて欲しかった。認めて欲しかった。褒めて欲しかった。
愛して欲しかった。気づいて欲しかった。捨てないで欲しかった。
話を聞いて欲しかった。見捨てないで欲しかった。私を見て欲しかった。
もし、私がもっと隠すのが下手くそで、周りに嫌われることを恐れないような人間で、人前で弱みを見せる人間だったら、見捨てないでくれたのかな。
吹部の部長みたいに、廊下で、人前で泣き崩れたらよかったの?
その人には先生も生徒も寄ってたかって慰めてさ。
私はトイレで泣いてたって寄り添ってもらえなかった。
トイレで泣かなきゃ行けないぐらいに、この世界に居場所がなかった。
人前で泣くことが怖かった。殴られる、怒鳴られる、嫌われるって。
完璧、とまで言わなくとも、普通の私でいた期間が長すぎた。
ずっと生徒にも教師にも頼られる人間で、その人たちに絶望されたら私は価値がなくなって生きていけなくなってしまうって思ってた。
でも少しずつ化けの皮が剥がれていって、それをなんとか拾い集めて、くっつけて誤魔化して取り繕って、ボロボロのまま生きて。
これ以上やったら人生が終わるって。それを望んだ時期もあったけど、不登校直前期は不思議と「自分の人生ここで終わりじゃない」って感じて、自分のした決断を後悔しないで突き進むことができた。
もし、あの時、無理をして合唱コンやるって言ったら、死んでたかも。
それでいいって思ったかな。でも思えなかった。
それは私じゃなくて、あのクソ教師によって殺されたことだから。
死ぬなら最期は自分の意思で死にたいかもしれない。
きっと、大好きなあの先生が私に生きてって、死なないでほしいってずっと、ずっと言ってくれたから、やっと私はそれによって生きようと思えたのかな。
先生にありがとうって言って、早く忘れてねって言いたい。
私とあなたは、どうしたって友達じゃないから。
あー友達欲しい。春休み親友ちゃんと遊ぼうかなぁ。
親友だとはお互い言ってるけど、1年に1回とかしか遊ばない。
中学3年間中2年は同じクラスだったけど、学校で喋った記憶ほぼない。
話さないし、会わないし、遊ばないんだけど、いざ話すといい感じ。
趣味もめちゃ合うわけじゃないし、見た目とかも違う。
仲良いグループも、部活も、その他いろんなことも違う。
でもなんか、人間としての芯の部分っていうのかな。
根底の考え方とか思想、家族や友達への考え、人との関わり方。
そういうのは似てる、というか共鳴しあってるなぁって思う。
あー!会いたい!話したい!でも多分今受験真っ最中だから、春休みか。
こないだの恩師の話で書こうと思って書けなかったんだけど、私は人から呼ばれる時に苗字で呼ばれることが多くて、名前で呼んでくれる人が本当にいない。
(本名の苗字が割と特徴的、名前が学年で何人か被ってたのもあると思う)
でも、今まで名前呼び捨てで呼んでくれたのはA先生と親友ちゃんだけ。
部活の後輩は名前+先輩で呼んでくれたけど、それは部の慣習でのあだ名だったからだし、本当に名前呼び捨ての人は私にとっては特別な存在・・・
でも先輩呼びは嬉しかったな。部長だったけど「部長じゃなくて先輩って呼んで!」って言ってたし。
昔は自分の名前あんまり好きじゃなかった。両親それぞれでつけた理由が違かったから。両親の不仲の象徴みたいで。
でも、A先生が私の名前呼んでくれて。すごくその声、響きが好きで、自分の名前のこと好きになった。今も、好き。
今までは一回何か間違えた、ミスをしたってなったらそこから逃げたんだよね。
塾も、学校も。部活は部長だったから逃げられなかった。
友達に自分のこと話してうまく伝わらなかった時も逃げた。
高校でも、うまくいかないことたくさんあると思うけど、そこで逃げずに頑張れるように、踏ん張れるようになりたい。
もちろん1人で全部解決する、なんて傲慢なことは言わないけど、誰かの力を借りてもいいから持ち直せるようにしたい。
仲直りができない、みたいなのをやめたい。てかやめる。
完璧主義すぎる。自分のボロが見えた時に絶望しすぎ。
私にとっての幸せは、「死にたいと思わないこと」に今はなってる。
なんか、希死念慮というものがあるときって、何をしようとしても
「でもどうせ死ぬし」みたいになって本当によくない。
その感情だけで鬱のランクが1つ違うぐらいには重くて大きい。
全てがどうでもよくなるとよくない。
心が重くて、息ができなくて、涙が出る。
今はなんか元気でいいね。このまま頑張りたい。
でも頑張りすぎない。自分のペースを認めてあげる。
成長できてる感じがする。2月。いいぞ。
1月のヘドロを見返してるわ。あとは生活リズムと痩せること。
全部今すぐ完璧にやろうとしない。少しずつ、着実に。
出来ないことを責めすぎない。否定と失敗を恐れない。幸せになる。
以上です。では〜👋