火は与えられなかった
毎晩、パソコンの前に座るようになって二ヶ月が過ぎた。
文章を、物語を書いている。書いて読み返し、消してまた書く。深夜のスクラップ&ビルドが止められない。これが良いと心と体が訴えている。
モニターの前に座りながら、心は真っ暗な世界を歩いている。
道を歩くごとに、言葉が、文が少しずつ見つかる。それらを拾い、キーを叩いて画面の中に重ねていく。そうやって拾い集めたものが、朧げながら物語の様相をなしてきた時、私はまた破壊をはじめる。もっと、もっと。体が、魂が求める。私はその要求に充分に応える。深夜の執筆活動は魂と体が心地よく呼応しあう。
体は此処という場所にいても、心はどこかへ飛び立てる。そういう許しを今は文を書くことから得ている。前は本を読むことから得ていた。読書を好んだのは自由で在りたかったからかもしれない。
少しだけ長い間生きてきて、そういうことをしなくとも自由で在れる人がいることを知った。それを知った時、この世界はなんて安心で幸福なのだろうと思った。皮肉や嫉妬ではなく、ただそう思った。私の目に、彼らは何か世界から根源的な安心感を得ているように見えたからだ。
揺籠の中の赤子のような穏やかで満ち足りた、万能感に似た安心感。それは永遠に消えない祝福の火だ。そんなものが自身の内にあったらどこにだって歩いていけるだろう。どこにいたってどんな時だって、悲しい時ですら、自らの裡に熾火の暖かさを感じられるだろう。自らを暖めながら、他の人々に熱を分け与えることだって出来るに違いない。私は彼らのことを、そういうものを与え得る世界のことを考えて———こわいと思った。
私は、この世界を愛していただろうか。
私は、この世界に参加できていたのだろうか。
私は、この世界とどう付き合おうとしていたのだろうか。
最近はそんなことばかり考えていて、考えた結果、夜毎文章を書いている。
これを通してしか在れない。今はそう思っている。
欲しい。欲しい。夜毎、私の魂は渇望する。
吠え出しそうなほど強い欲求は暗闇でも迷わない唯一の道標だ。言葉を、文を、拾えるだけ拾って前に進みたい。その先に何が見えるかわからない。けれど今はこれが心地よい。この衝動と欲望に身を任せてどこまでも進んでみたい。これが唯一、自由を得る手段であったとしても。
私は今夜もパソコンに向かう。
私が己の未来のためにできるのは、今のところ書くことだけだ。