ツインレイ〜みんな出会えるの?
ネット上にツインレイ関連のブログやサイトがこんなにも増えたのはここ数年のことだと聞いています。
情報が増えたのはいいことだけれど、でも逆に、ツインレイという言葉を意識し過ぎたり、出会えないことをつらく感じてしまう人も中にはいるのでは、と思ったので、これまでに感じたことを書いてみようと思います。
私自身はツインレイという言葉を全く知らなかった。
50近くになって、好きな男ができて、お互い既婚者で、しかも一回りも年下で...。
誰にも言えない中、本当にたまたま、ネットでこの言葉を知った。
あ、これかもって思った。
そうしてすごくラクになれた。
ネットにはいろんな記事が溢れているけれど、その中でも私にとって信頼できると思えるサイトや書物に出会えたことも大きかった。
近藤みずほさんの『ツインレイバイブル』(電子書籍)は本当に何回も読んだ。
時には大泣きしながら。
飯田史彦さんの『ツインソウル』にも勇気付けられた。
そんな感じで、ツインレイ、という言葉があることで、私自身はラクになれたのですが、もしかしたら、ツインレイ、という言葉を先に知ってしまっているが故に苦しんでいる人もいるのではないかとも思ったのです。
この人は私のツインレイなの?
ツインレイでないなら、私たちはどうなるの?
ツインレイに出会えない私はどうなるの?
とか。
でも、ひとつ最初に確認したいのは、そもそも、ツインレイ、ツインソウルの定義自体があやふやだということ。
魂の片割れ、とか魂の双子とか言ったって、魂を取り出して、ほら、ぴったり合うでしょう?とか二つの魂のDNAがぴったり一致します!とか検証や鑑定ができない以上、科学的に立証とかはこの三次元ではできない。
私は占いにハマった時期があったのだけれど、彼とのことを当然のようにさらっと、ツインレイですねって言う占い師さんもいれば、ツインレイではなくて前世つながり、なんて言う占い師さんもいた。
だからツインレイの定義は人それぞれなんだと思う。
科学的に立証できないし。
そうだとすれば、ツインレイかどうかということを必要以上に気にすることはないのだと思う。
ツインレイだと分かることで、気持ちがラクになるのならそれでいいし、ツインレイでなくたって、前世からの深いご縁があるのであれば、それはそれで大切なお相手。
そんなご縁すらなくたって、今その人を大事に思ってる、その気持ちこそが大事。
結局、その出会いを大切に育んでいけるかどうか、それが大事なのだと思います(こう言えるのは余裕のある時だけで、私は、ただ会いたい、っていうだけの時も多いですが)。
私は彼と出会ってから、自分の心と向き合えたというか、自分の人生そのものを大事にしようって思えた。
自分を大事にすること、自分を愛することを思い出せて、そうして、これからの人生に立ち向かっていく勇気が出せた感じ。
だから、思ったことがある。
他の人は、どうやって、この、人生に立ち向かっていく勇気を出しているんだろう、って。
私は、エサとして、彼を与えられて、だから、これからの人生も、光の仕事も頑張ってみろって宇宙から言われたのだと思っている。
じゃあ、エサがなくてもちゃんと人生に立ち向かってる人のほうがめちゃくちゃすごいじゃない、って思ったし、私自身がね、エサがなくてもちゃんとやれる人間だったらね、こんなに苦しまなくても、泣かなくても済んだのかもしれないっても思った。
でも私はエサがなければ、自分の人生にすら立ち向かえないし、ましてや光の仕事なんて自らするような、そんな殊勝な人間ではない、と神様にはお見通しなのでしょう。
だから、ツインレイとして、彼を与えられた。
目の前に、彼というニンジンをぶら下げられて、ほら、頑張ってみろ、って言われてる。
ただそれだけのことだ。
運命とか、素敵な出会いとか、私が優れてるからツインレイに出会えたわけじゃなくって、むしろ逆。
私の場合は、エサをぶら下げられないとちゃんと生きようとしない、怠惰で生意気で人生を舐め腐っているような、ろくでもない人間だからだって思ってる。
『あなたには使命があります』
って大きな樹木に言われたことがある。
私はそんな大層な人間ではありません、ろくでもない人間です、って、彼とのことでイライラしてた私は逆ギレみたいに答えた。
そうしたら
『ろくでもない人間だからこそ、ろくでもない人間を救えるのです』
って返ってきて、私は笑うしかなかった。
私がろくでもないように、彼もまたろくでもない。
私がバカなように、彼もまたバカだ。
でもろくでもない私だからこそ、ろくでもない彼を救える。
バカな私だからこそ、バカな彼に愛されることで、初めて分かる幸せがあるのかもしれなかった。
自分自身を愛すること。
自分は愛ある存在だと思い出すこと。
そこから愛が周りに波及してゆくこと。
地球が愛で満たされること。
それが、大いなる宇宙の意思。
みんな、それぞれのやり方で、愛ある存在で生きていこうと、学んでいくんだと思う。
それは人によっては、幼い頃から家族との関係に悩まされることだったり、学校や周囲となじめなかったり、大きなコンプレックスがあったり、大病を患ったり、ままならないいろんなことから学んでいってるんだと思う。
ツインレイと出会うっていうのも、ただそのうちのひとつなのかもしれないっていう気もする。
生きている以上、私たちは、私たちの魂は成長し続けてゆく。
大きな宇宙の愛のもとに。
今日も太陽と時間を与えられて、命を与えられて。
私たちが愛ある存在として生きること。
自分自身を愛すること。
それを宇宙は喜んでくれてる。