7月の日曜日。
美月の部活動で、保護者の集まりがある。
二週間後に迫ったコンクール当日の役割分担、誰を車に乗せて行くかや、ステージ上への楽器運搬について最終確認をする。
話し合いの時間までは子供たちの練習を自由に見学してもいいことになっていたので私は早めに来て練習風景を眺めていた。
肩をとん、と叩かれて振り向くと、結菜ちゃんのお母さんがいた。
ただ一人、占い鑑定の先生以外で、私が彼のことを話したお友達。
「その後どう?」声を潜めて聞いてくれる。
「ん、何もしてない」現実では何も。
「そう...よかった」
「ごめんね、心配かけて」
「何言ってるの」
好きな人ができた。向こうも既婚者。遊び行こうとか言われてる。
そう話したら彼女は、で、もう遊びに行ったりしたの?と尋ねるだけで、後は相手のこととか深く詮索しなかった。
ううん、やっぱり二人っきりはまずいと思ってる、と私が答えると、だよねー、とだけ言った。
ダンナさんの転勤で都会からこの町に来た彼女もまた、この町の田舎気質、仮に噂になどなったらどれだけ大騒ぎになるかということもきっと分かっているはずで、だからこそ私は言えたのだった。
とにかく一人で抱えないんだよ、いつでも相談に乗るからね、と言ってくれたのが、春先の保護者会の帰りだったから、もう3ヶ月前のことだった。
「考えたんだけどさ...推し、だと思えばいいんだよ」と結菜ちゃんのお母さんは言う。
「ん?」
「その人がいるから頑張れる。ほら私たちって毎日めちゃくちゃ頑張ってるじゃない?心の中で誰を思ったってさ、日々やることやってたら、誰にも文句言われる筋合いなくない?」
心の中、常識とか建前とかしがらみとか周りにどう思われるかとか、そういうのを全部取っ払った先の心の中、私が一緒にいたいのは彼だった。誰にも言えないけれど、彼が一番大切だった。そんな、見ようによっては重すぎるこの思いを、軽やかに一言「推し」で救ってくれた。
そっか、彼は私の「推し」なのだ。
彼の幸せのためになら私は死んだって構わない、とも思えるほどの。
「推しのためなら死ねる!」って言ったら、バカじゃんってみんな笑い話にしてくれるだろう。そうだ、私もバカなのだ、笑い話にしてもらっていいのだ。
吹奏楽コンクール課題曲の全体練習が始まる。
二人とも急いでスマホを取り出して録画モードにする。
曲の中盤には美月のフルートのソロパートがあり、その後、結菜ちゃんのパーカッションパートが、疾走感と共に一気に曲のクライマックスへと盛り上げてゆく。
演奏を聴きながら、私は、恋愛は一曲の曲だと思う。出会いがあって、盛り上がって、きれいに終わる、そうして余韻に浸ればいい。
かたや結婚は違う。こういうふうに楽団を組んで、次から次へと曲を弾きこなしていかなければならない。
渡される楽譜は次々と難易度が上がるし、その間も楽器のメンテナンスをしたり、団員の不調や変更があったり、息つく暇もないくらい。
でも、夫と一緒に楽団を組む、と決めたのは誰でもない私だった。
そうであれば、どんな時もこの楽団でやっていくことが、私のやるべきことではないのか。
それがたとえ「絶望」という名の曲目であったとしても。
「絶望」は演奏したくないから、と楽譜を破って逃げたところで、次の楽団でまた「絶望」を弾かなければならないのかもしれなかった。
「絶望」という難曲に真正面から向き合ってこそ、弾きこなしてこそ、やっと次の楽曲に向き合えるのだと思えた。
夫と娘を愛し切る。
家族という楽団で、「絶望」という曲を弾き遂げる。
それが今、現実に私のなすべきことだった。
そうして、それは彼もまた同じなのだろうと思えた。
心のつながりを信じて、お互いのやるべきこと、現実を超えてゆくこと、生きてゆくこと。
あの人がいるから頑張れるって、そう思う存在が、必ずしも家族である必要はないのかもしれなかった。
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