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出る杭は?

Risaさんは愛について語るお役目があるようだ、と占いの先生に言われた時、私の頭に浮かんだのは、人前で説法する、有名な尼僧の姿だった。

お寺で、たくさんの女性たちを前にしてにこやかに説法している、それが私のイメージした、愛について語る、だったから、先生、何言ってるの、そんなわけないじゃん、って思った。私が、あんなふうに人前で話したりするわけがない、って。

そしてそれ以前に、私はその尼僧のことが好きではなかった。

だって子供捨てて男のところに行った人なんでしょう?って。

何でそんな人の話をありがたがって聞くのか、私には分からなかった。

子供を捨てて男のところに行ったのに、偉そうに説法して、そんな人よりも、ちゃんと子育てして、今は子供絡みのボランティアもしてる私のほうがえらいじゃん、ってそんなふうに思っていた。


そうして、今、私がしようとしていることは、子供を捨てて別の男と生きようとしていることであり、このnoteに書くことは、偉そうに説法してるようなものなのかもしれなかった。


だから、私がその尼僧に感じたようなものを、今の私に対して感じる人がいたとして、それは、当然のことなのだ、とも思う。

私と似たような境遇の人は、私の書いたもので、何かしら共感してくれたり、同じような人がいる、と安心してくれたりするけれど、世の中は全てそんな人ばかりではない、のも当然のことだ。


桐野夏生が「OUT」を書いた時、夫を殺してバラバラにする作品を書くなんて、と、年配の男性作家がしばらく口をきいてくれなかった、と笑い話にしていた。

私の書くものも、やろうとしていることも、見る人によっては、何て女だ、ということなのだろう。


それでも、私は書くことを続けるのでしょう。

誰かのため、ではなくて、自分のために。

私が望む、彼との未来のために。多分、ただそれだけのために。


出る杭は打たれる、と言うけれど、出過ぎてしまえばもう誰にも打てない、そして、人生は、人は、妬まれてなんぼだと私は思っていて、そう思って生きてきた。

だから、出過ぎよう、妬まれよう、と思う。

私には、望む、彼との未来がある。

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