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映画「14歳の栞」を観て

昨日は、高校の部活の友達と1年ぶりに会って、お昼ご飯を食べた。

これまでの1年間分の話や部活のみんなのこと、新学期からの話など充実した時間を過ごした。

高校の部活はいろいろあって、私はキャプテンと仲が悪かった。というか、仲が悪くなった。

そのしこりは私とキャプテンの間だけでなく、チーム全体になんとなく残っていたのだろう。昨日の話題の中心も自然とそこに移った。そんな感じでいろいろ話して、楽しく解散した。

昔の話に花を咲かせたこともあってか、少し感傷的な気分になっていたのだろう。

まだ時間があったから、その足で気になっていた映画「14歳の栞」を観に行った。上映劇場が限られていて、私の家の近くでは公開予定すらなかったのだけれど、遠出をしたついでと思って上映時間の間に合う劇場を探した。

大きな見どころも、起承転結もない。
ドラマチックな展開もハラハラドキドキするイベントもない。
淡々と35人の一人一人を撮っていくだけ。

教室の中だけじゃなくて放課後とか、部活とか下校とか休日の遊びまで密着している。家庭の中でもカメラが回っていた。

なんだ、全員主人公じゃないか。

クラスで一番うるさいあいつも可愛いあの子も県選抜のあの人も数学が得意な彼も絵が上手い彼女もいつも1人でいるあの子も友達といないと落ち着かないあいつも予鈴ギリギリで着席する彼も朝の教室で勉強している彼女も、みんな主人公だ。

ひとりひとりが平等に撮られているからこそ、そんなふうに感じたのだと思う。ドラマなら「隠キャ」や「陽キャ」の一言で済まされてしまうかもしれないけど、本当はそんな括りは自分目線の都合の良い解釈だと気付かされる。

舌足らずな想いは共感できたり、懐かしかったり、蓋をした思い出を思い出させてくれたり、ちょっとむず痒くなったりさせる。

何も知らないわけじゃないけど、なんでも知ってるわけじゃない。
電車の乗り方と路線図は覚えたけど、どこにでも行けるわけじゃない。
お小遣いは増えたけど、なんでも買える訳じゃない。
自分のキャラはわかってきたけど、そのキャラを演じるのは好きじゃない。
友達との関係の築き方は知ったけど、やっぱりよくわからない。

接点がないクラスメイトには「イジる」ことで話すきっかけをつくってみる。
クラスの雰囲気を明るくするために、「今日は少し明るさを上げてみる」

あの頃うるさかった男子はこんなことを考えていたのか。
男子なんて部活とゲームと女の子のことしか考えていないんだと思ってた。

きっと、この映画に共感してしまう私は「ふつう」なのだろうし、あの子たちも「ふつう」のどこにでもいる公立中学校の生徒だ。

ありがちで退屈などこにでもある、誰もが経験した中学2年生の3学期。

生きることに必死で、その時間のありがたさも尊さも陳腐さもくだらなさも素晴らしさもわからなかった。

でも、その「ふつう」特別なことなんだと思う。

「自分という物語の主人公になろう。」
「他人の人生を生きるな。」

最近よく耳にするこの言葉は、確かに正しいと思う。誰かに迎合することなく、自分の好きなことを貫いて、自分の生きた証をこの世に刻みたいという立派な気持ちは私だって持っている。

だけど、そんなふうに生きられなくたって、そこでもがいていることも十分に美しいことなんじゃないだろうか。自分という肉体が存在していたという事実だけで、その周りの人たちに1 mmでも影響しているはずだ。

だから、みんな主人公なのだ。周りの顔色を伺っちゃう自分も、キャラを変えたくても変えられない自分も、大っ嫌いな自分も、全部まとめて主人公だ。

「14歳の栞」を観た後は、そうやって当時は光を当てる気もなかったクラスメイトにも思いを馳せることができるようになる気がする。そして、当時は蔑ろにしてしまって関わらなかったクラスメイトの存在が「今」の自分に大きな影響を与えることになるのかもしれない。それはやっぱり、何年、何十年越しで、自分とあの子の間で関わり合ったことになるのではないだろうか。

この映画の感覚は何かに似ていると思ったら、朝井リョウの小説だった。「桐島、部活やめるってよ」や「少女は卒業しない」を読んだ時の感覚だ。同じ場面、同じクラス、同じ1日なのに、肉体によって見え方が全く異なる。クラスの中では目立たなくたってちゃんと一人一人に物語はあるし、何も考えずに生きているわけじゃない。

今を生きる私たちは、常に「私」のことで精一杯だ。本当は78億通りの1秒があるはずなのに、そんなことは想像できない。

私が14歳の頃は何を考えていたのだろう。たった5年前のことだけど、それはすごく昔な気がするし、当時の自分はもっともっと子どもだったと感じる。きっと大人から見たら今の私も大分子どもで、このnoteを読んだら、同じく恥ずかしくなるに違いない。

中学2年の3学期、初恋の男の子と親友が付き合い始めた。彼は中1の時から同じクラスで、私は中1の夏くらいから彼に片想いをしていた。親友は保育園の頃からずっと一緒で、今も付き合いが続いている。

私は恋愛に疎かったから、別に付き合いたいという気持ちもなく、それを友達に話すもの気恥ずかしかったから彼女には内緒にしていた。しかし、そんな彼女から「好きな人ができた。」と打ち明けられ、その相手は彼だった。その頃には彼女と彼は教室内でもよく話していたし、彼も彼女のことが好きだと薄々私は感じていた。だから、「そっか、応援するよ。」と言って、自分の気持ちはそっとしまうことにした。

そんなこんなで彼女と彼は付き合うことになり、彼女が毎朝一緒に登校する相手は私じゃなくて彼になった。付き合っていることを周りに隠しておきたいというから、他の子に「あの2人って付き合っているの?」と聞かれても、「仲は良いけど違うんじゃない?」と誤魔化すのに苦心していたのに、2人は堂々と一緒に登校して来て、いや、全く隠す気ないでしょ笑。って思ったり、2人が喧嘩している時は私と彼女が一緒に登校することになったり、2人の仲をとりもつよう頼まれたり、なんとなく、私都合よく扱われているだけじゃないか?とモヤモヤが溜まっている時期だった。

女の子は彼氏ができるとそればっかりになってしまうとか、それも含めて友達だとか、そんなことを知ったのもその頃だろう。

結局2人は卒業まで付き合って、別れた。その頃には私の彼への気持ちはもちろんなくなっていたし、2人はとてもお似合いだった。

これも結局、よくある初恋の話だろうけれど、私にとっては一回きりで初めての特別な話だ。

こんな感じで、自分のことばかり考えていたけど、その周りにはこうやって色々な気持ちを抱えたクラスメイトがいたのだろうな。ちょっと、同窓会が楽しみになった。

さて、今度は高校時代の部活のことを清算しなければならないけど、その勇気はまだ出ないみたいだ。

ゆっくり、考えながら、整理していきたい。



「缶ジュース奢ってやるか」くらいの気持ちでぜひ!