[母への執着12]母との記憶 踏み荒らされた価値観
教育虐待という単語を知ったのはここ半年だ。
はじめて知ったとき、
「ああ、これだ」
と思った。
精神科に通い、カウンセリングを受け、
ストレス性抑うつ症
境界性パーソナリティ障害の傾向
そう言われても私の中で「虐待を受けた」とは断定して言葉にできず、内心そうだと思って親を恨む自分に罪悪感も消えず。
その状態になって10年以上。
実際、そんなことを親に抗議などしたら、母は怒り狂い私を罵ることは容易に想像がつく 笑
母の教育に対する言い分はこうだ。
あなたたちが選んだ。決めた。
私はそれを全力で応援した。
あなたが医者になりたいと言うから、それを目指す最低ラインはこの学校だった。
医者になるならあの成績ではムリなのに、それでもあなたは医者になりたいと言うから全力でサポートした。
ちなみに医者になりたいと言ったのは小4か小5位の頃だ。
包み隠さず言うならば、幼稚園で将来の夢は「やさしいおかあさん」「おはなやさん」「けーきやさん」と言っていたのと同レベルの夢であった。
さらに言えば、兄が博士と言うのをなんだか喜んでいる母を見て、「じゃあ私はお医者さんになりたい!」「人助けをしたい!」という理由だ。
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