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毒と裁きと本物の覚悟 毒林檎は母の呪いか、王子に出逢うための祝福か

根深い母への執着。
手放しワークを実践したが、本当に手放せたのかどうかはまだわからない。
しかし、なにかが変わったとは感じる。

今までネットリと貼りついていた恨みや憎しみの負の感情。
それらが完全に消え去る、そんなことはこの先もおそらくない。
しかし、その負の感情に対する見方がネガティブだけではなくなった。

今まで私の心を覆い隠していた黒い膜。
この膜は私にとって母そのもので、私の生を支配して乗っ取る「寄生虫」だった。
寄生虫の吐く「毒」に汚染されていた。
一方、たとえ毒であっても私の心を守る一面もあった。
カウンセリングを通して、この状況を「客観的に理解」していた。

理解はできたが、その現実を打開できずもがいているときに、手放しワークに出会った。
寄生虫のようにネットリ貼りつくこの黒い膜を、私の一部ごと無理やりにでも引き剥がしてやろうと思ってワークをはじめた。

癌の除去手術のようなものだと思った。
私は大事ななにかも一緒に失うだろう。
それでも構わない、そんな覚悟ではじめた。

ワークを終えた今、この認識は半分誤りだったと感じている。
確かに私は一度皮膚を剥ぐような感覚で、寄生虫を引き剥がした。
無理やり剥がしたゴミの塊。

もとはどんな姿だったのか。
ひとつひとつのゴミを丁寧に分析し、
なにを得た残りカスなのか、
得たものに心をはせる。

そうすることで、ゴミにちゃんと意味があったことを理解した。
今の私にはもう必要ないと、感謝して捨てることができた。
断捨離そのものであった。

すると、そのゴミの核にあたる寄生虫の正体が明らかになった。
それは寄生虫などではない。
私自身の「不安」が絡めとった「母の愛情」だった。

足りない!怖い!もっともっと!
その不安が「母の愛情」を締めあげ、毒を搾り出していた。
この断捨離の本当の目的は、ゴミを捨てる作業ではない。
「母の愛情」に執着するかぎり、この「不安」が消えることはない。

私が欲しい愛情は、母自身も貰ってない。
貰っていないから、母自身も知らない。
知らないものを、あげようがない。
それを理解して、「母」にないものを絞りとろうとするのをやめよう。
「母」を解放しよう。
「母」を手放そう。
この不安は自分自身で満たしてあげよう。
そう覚悟することが目的だ。

母がくれたものは、変わらず私の中にいる。
毒を吐き出す母の愛情は、全部ガラクタだと勘違いしていた。
ガラクタとして乱暴に扱っていた。
ガラクタが宝物だったことを思い出した。

すると、ガラクタでいっぱいだった私の中は、キラキラ輝きはじめた。
ガラクタは母のくれた宝物だった。
私の中は母のくれた宝物で満ちていた。
この宝物を抱きしめて、「母」を解放しよう。

ガラクタだと感じたのは私の罪ではない。
母の愛は確かに毒の割合が多すぎた。
罪悪感なんてこれっぽっちも必要ない。
愛情と称して毒を混入させた相手に、罪悪感なんて必要ない。
それを理解した上で、学びに感謝する。
そんな母でも感謝しようするのは、ひとえに私の母への愛を肯定するためだ。

私の場合、母の愛も確かにあったので、それはとても幸せなことだろう。
母の愛と教えだけを丁寧に抽出し、不要な毒を排出する。
それは間違いなく私の努力だ。
母の愛は確かにあったが、
だからといって母を完全に許す必要もない。

毒はどんな人間にも秘められている。
微量の毒は致命的にはならない。
薬になったりもする。
それでも、われらHSPには猛毒になったりする。
虐待など、攻撃性を含むものは猛毒になったりする。
どんな親でも、どんな人間でも、毒を心の内に秘めている。

毒にするか薬にするか。それは使い手次第。
自分の毒を理解して、目の前の相手がどのくらいの濃度を問題なく受け入れられるのかを見極める。
毒の相性を見極め、相手を受け入れたり弾いたりするのが人間関係だ。

しかし、親子関係は選べない。
弾くことができない。
受け入れるしかない。

母が子に毒を受け入れろと強要するのと、
子が母からないものを絞りとろうとするのと、
どっちが罪深いか。
そんな裁きに今さらなんの意味もない。
親から離れた私は、母を弾くことだって今ならできるのだ。

今まで散々、どちらが悪い、誰が一番頑張っている、そうやって人や物事を裁いてきた。
その結果、これっぽっちも幸せになれなかった。
だからこれからは、人と比べない。
人から欲しがらない。
そんな覚悟をしたのだ。

母の手放しは終えた。
しかし、母の呪いを完全に断ち切ったわけではない。
ひとつひとつ呪いを手放していくしかない。

この心にポッカリあいた穴を、私の心を、
自分で満たす方法を探さなければ。

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