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[母への執着10]母との記憶 わが子の人生を乗っ取る

小学生の途中、引越しに伴い転校した。
家族の選択・親の選択に対して、基本的に「イヤだ」は私の中で存在しなかった。
コッチかコッチ、どっちがいい?
と聞かれれば選ぶ。
こうしようと思うけど、どう?
と聞かれれば、いいんじゃない?だった。

それは私が選択するという感覚ではなくて、母の選択を肯定するよ、という私なりの愛情だったと思う。

祖父と同居するために家を建てる
今の家は売るからもう住めない
お金の面でも今より苦労する
祖父が加わって家族の形も変わる
学校も引越す

それらの説明を受けても、実際変化に対して大きな責任を負うのは母なのだから、祖父のために選択しようというなら、どちらを選んでも母の選択を肯定するよ、という意味だ。

今の友達とは離れる
生家がなくなる
新しい環境に順応しなくてはいけない

子どもの私に起きるそれらの不安は覚悟できるよ、安心して選んでいいよ、という意味だ。
しかしその後、母は

祖父と家族としての関係を築こうとしない薄情者
以前の友達と連絡を取り合おうとしない薄情者
転校して(学校の教育レベルがあがって)あなたは幸せ者
あなたはなんの努力もせずに幸せでいいわね
苦労はぜーんぶ私(母)に押し付けて

そういう評価を私に下した。
そうかもしれない。
私は薄情なのかもしれない。
そう思った。

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