アオテアロアとワイタンギ、マオリ
10世紀後半、ニュージーランドに最初に到着したマオリは、この島をAotearoa アオテアロアと呼んだ。長く白い雲のたなびく地という意味である。実際、オークランドは一日で晴れ、曇り、雨と天気が変わることが多いが、曇り空の時間が長い気がする。
マウイはマオリの伝承にでてくる半神である。マウイがカヌーに乗って釣り上げた陸地がニュージーランドの北島、カヌーがニュージーランドの南島と言い伝えられている。
10世紀後半といえば、わが国は平安時代である。紀元前660年に建国されたわが国の感覚からは意外に新しいと思えるが、世界で最も離れた島に人間がたどり着くには、長い時間がかかったのであろう。
マオリは狩り、漁、採集と農耕を行い、部族間で争っていた。マオリは強靭で勇敢な戦士であることが求められたのだろう。オールブラックスで有名なハカは、儀式や戦闘の際に披露された伝統的な踊りである。
このようなマオリの地に17世紀、まずオランダ人が到着し、次にイギリス人が18世紀に到着した。イギリス人はかの有名なキャプテン・クックであり、最高峰マウント・クックの由来でもあるが、Aoraki アオラキ (雲の峰)という名前があったのにもかかわらず、自分たちで勝手に名称変更する自分勝手なジェントルマンたちである。
19世紀になると捕鯨やオットセイ漁、キリスト教布教のために多くのヨーロッパ人が渡ってくるようになった。そのときに持ち込まれた銃が部族間抗争を激化させ、さらには持ち込まれた菌により病気が蔓延したため、マオリ人口は急激に減少してしまった。
1840年、ワイタンギ条約は締結され、マオリは自分たちの土地をイギリスに奪われてしまった。ワイタンギ条約は、イギリス版とマオリ版の二種類存在し、書いてある内容が違う。イギリス版ではマオリはすべての権力をイギリスに譲ると書いてあるのに、マオリ版では共有するとなっている。解釈の違いとか翻訳の違いとか理由をつけられているが、ようは法制経験のないマオリを騙して国をうばいとったのではなかろうか。卑怯なイギリス人のやりそうなことである。卑怯なこのジェントルマンたちは中東でも三枚舌外交を行い、いまのイスラエルとパレスチナの戦争の発端を作っている。
さて、これに反抗したマオリとイギリスはニュージーランド戦争を起こし、マオリは負け、完全に国を奪われた。イギリスから独立したのは大東亜戦争後である。
現在においては、マオリへの土地の返還も行われてる。Glow worm 土ボタルで有名なワイトモ洞窟もマオリに返還された土地の一つである。ちなみに、土ボタルはホタルではなく、ヒカリキノコバエ、すなわちハエの幼虫、うじ虫。明るいところでみると菌糸を垂らしていてあんまり気持ちの良いものではないが、暗いところで天井一杯の光を見ると非常に幻想的であった。ワイトモ洞窟では洞窟出口が川になっており、ボートで真っ暗な川を進むのであるが、そこの天井は一面、土ボタルの光で覆われていた。その風景はここでしか見ることができないであろう。
ニュージーランドではマオリ復活の動きが盛んである。飛行機、バス、フェリーなどのアナウンス、標識はマオリと英語の両方が使われている。ヨーロッパ人の侵略で失われたものを取り返してほしいものだ。
Rotorua ロトルアのTe puia テ・プイア は間欠泉とマオリ文化の保存施設である。国立マオリ美術工芸学校があり、織物や彫刻などのマオリ文化を教えている。マオリは地熱地帯に住み、料理や入浴に使っていた。間欠泉の隣に国立学校を作ったのはそのためであろう。
実際には間欠泉は沸騰しているので、そこから離れた所でないと入浴もできないのだが。
オークランドからロトルアまでは約200kmの道のりであるが、その間に信号がない。ラウンドアバウトはあるが、ほぼノンストップで走れる。
広大な自然があるこの国は、農業と観光が主産業である。高い輸送コストや人口が少ないことによる需要過多、政府の高金利策により物価高で、いまの円換算で比べると3倍くらいは高い。すなわち、給料も3倍もらっているのだろう。ニュージーランドで貯金し、それを円に替えて持ってかえれば、富裕層だ。一億円くらいニュージーランドで働いて貯めたいものだ。
(May/2024)