![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108563937/rectangle_large_type_2_fb86cf75466f4e5ac0d2c5ddc0c92fb8.jpeg?width=1200)
神武天皇ゆかりの地を訪ねる
はじめに
以前に天地開闢から神武天皇までの話を書いた。神武天皇は鵜葺草葺不合命と玉依姫の子であり、日向からやってきて橿原に都を築き、八紘一宇の精神をもとにわが国を建国した初代の天皇である。
今回は神武天皇ゆかりの地である奈良の橿原に行く機会があったので、神武天皇が眠る御陵と神武天皇が祀られている橿原神宮を紹介したいと思う。
畝傍山東北陵
橿原は近鉄で行った。御陵の最寄り駅は畝傍御陵前である。小雨の中、駅から御陵まで誰もいない集落を歩く。それにしても静かな集落だ。この近くにわが国の最初の都があったとは想像もできない。その集落を抜けるとうっそうとした森が現れるが、そこが御陵である。
![](https://assets.st-note.com/img/1687078112116-zXiDusrUVa.jpg?width=1200)
入り口を入るとなんだか張り詰めた空気になり、砂利を踏む音だけが響く。森には森の神様が住んでおり、それに加えてここには神武天皇も眠っているのだから、神聖な空気になるのは当然であろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1687078205673-UQaqIw48CY.jpg?width=1200)
この道を抜けると神武天皇の眠る御陵にたどり着く。
![](https://assets.st-note.com/img/1687078487253-iIOtAMFzg8.jpg?width=1200)
宮内庁のウェブによると、御陵名は畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)というのだそうだ。宮内庁の定義では円丘である。
雨のせいもあってか誰もおらず、ただ静寂が流れ、なにかを感じさせる空気が漂う場所であった。日本人であることが実感できる場所である。
橿原神宮
御陵から橿原神宮までは徒歩圏内である。畝傍山の北に御陵があり、南に橿原神宮があるので、畝傍山の東側を歩いていったことになる。
![](https://assets.st-note.com/img/1687081016216-km3jpmIKKH.jpg?width=1200)
橿原神宮は地元の請願を受けて、明治天皇により1890年に創建された。畝傍山の南側に畝傍橿原宮があったからである。北口から入ってゆくと、途中、畝傍山への登山道の入り口もある。今回は雨で時間もなかったが、あらためて登ってみたいものだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1687081296172-SDFeAcOTCR.jpg?width=1200)
外拝殿(げはいでん)から内拝殿(ないはいでん)を見ることができるが、その奥の本殿は屋根の一部しか見られない。もったいぶってるが、神武天皇を祀っているので致し方がないであろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1687081673985-lCiwq28vQO.jpg?width=1200)
明治の創建であるので京都奈良のお寺や神社ほどの歴史はないが、祀ってある魂が重要なので、古ければいいというものでもないと思った。
君が代
境内には国歌に歌われているさざれ石がある。さざれ石は小さな石、細かい石という意味である。
![](https://assets.st-note.com/img/1687081944782-PX91oC1yCy.jpg?width=1200)
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
わが国が、さざれ石が結束して岩(巌)となって、その岩に苔が生えるまで末永く栄えますように、という古今和歌集の読人知らずの和歌が世界に誇るわが国の国歌である。
君が代の国歌制定は明治なので、神武天皇とは直接関係はないが、神武天皇ゆかりの地で君が代を口ずさむのもいいものである。
(2023年6月)