父と娘のNY旅①(小学5年の5月)
2001年5月、小学校の帰りの会で私は黒板の前に立たされた。
先生『明日から〇〇さん(私)はニューヨークに🗽行きます。少しの間学校には来れなくなります。みんなで、お見送りしてあげましょう。』
生徒『え?入浴するん?お風呂?』
先生『ニューヨークっていうところです!アメリカですよ。』
生徒『ふ〜ん』
私はみんなの前で何を話したか全く覚えていないが、『ニューヨーク』と言ったのに、知ってる音の『入浴』で返してくるクラスメイトの聞き間違えは、センスがあると感心したことを鮮明に覚えている。
私の父は現代美術家だ。
現代アート、コンテンポラリーアートともいう。そう言ってピンとくる人は少数派かもしれないが、父は現代美術家であり、絵を描いたり何か自分から作品を生み出すことを生業として生きている世にも珍しい人だ。
父はニューヨークで個展をする
その夢=目標を達成すべくニューヨーク(以下NY)行きを決断した。そして、忘れもしない2001年の5月、父は私を連れてNYへ行くことにした。当時ペット🐈がいたので母は留守番をすることになった。
期間はおそらく2週間ぐらいだったと思う。
海外が大好きな父の部屋には、世界地図と共にNYのマーハッタンだけの地図もあった。安全な地域や、危ない地域のこと、船で通勤する人がいること、ブルックリンとマーハッタンで物価が違うこと、肌の色の話、父が人生初めて行った海外はNYである話、そしてその時の友達がNYへの旅費を貯蓄する為にカロリーメイトを毎日1箱にして栄養失調になった話など、NYへ行く当日まで毎晩多くのことを話してくれた。
飛行機に乗ったのは初めてではないが、父と2人だけのNY旅。普段の家族旅行とも違う雰囲気だった。
席に着き、CAさんのアナウンスと共にシートベルトを閉めた。飛行機が離陸する瞬間、父は子供のようにワクワクしだした。
すると父は『昔の美術学校の先生が日本を離れたらワクワクする。』って言ってたんや、日本脱出や!って。日本しか知らんかったらあかんで、日本から離れた時にワクワクしてたまらなくなるぐらいの精神で、フットワーク軽く世界を飛び周る生き方するんや。世界は広いんや!
そう言って上空の景色を眺めさせてくれた。父は小さくなりつつある日本をニコニコしながら見ていた。
そんな父をみて私も更にワクワクしたのを覚えている。
今日からこの話を書いて行こうと思う。今でも不思議なほどこの時のことを鮮明に映像のような情景で、脳内がはっきりNY旅を記憶している。9歳の子供にはとても刺激的だったみたいだ。
父と歩いた道、すれ違う人、口に合わない食事、時差ボケ、公園の話、毎日が新鮮で衝撃的すぎた。
最初で最後かもしれない父と娘の2人NY旅🗽
今日も見てくださった方、ありがとうございました♡
つづく
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