2018年の秋、私はマルタにいた。 マルタ?どこ?とよく言われるが、イタリアの下にあるマルタ共和国のことで、 独立した一つの国だ。 下の赤い印の場所がマルタ共和国である。 マルタのことはまた改めてnoteに書く予定なので、今回はスペイン、主にバルセロナ を一人旅した旅行記をマイペースに書いていく。 飛行機はマルタからネットでチケットを取った。もちろん全て英語のサイト。 今回vueling空港を使い、14000円ほどだった。(行く2週間前ぐらいにチケットを予約した値
長く濃い記憶。NYは毎日が新鮮だった。 行ったのは20年前で、1週間少しだったにもかかわらず、すごく良く覚えている。 とても不思議だ。 先々週何した?と聞かれて毎日を私たちは鮮明に記憶しているだろうか。おそらく誰も毎日何をして、誰と会って、どこで何を食べて、と話出せないだろう。 しかしながら、NY以外も海外へ行った時や、旅をした日のこと(観光本の写真と現実の目の前の景色を照らし合わせて満足する日本人のする旅行ではない)は、いつも記憶として薄れずに覚えており、何かしら話
1日1回は練習する時間をつくる。 私もまた父と同様に積み上げてきたものがある。 ヴァイオリンだ。 私はヴァイオリンを弾く。3歳から習っており、子供用のヴァイオリンはサイズも小さいため、海外へも持って行っていた。 ボストンバックにヴァイオリンを入れると、X線でヴァイオリンケースが映る。それが少し面白かったのを今もよく覚えている。 楽器は実はとても不思議だ。 同じ楽器を持って行っても湿度、気候で音色が変わる。 特にヴァイオリンやチェロは【木】を張り合わせてできた楽器
今日も父の友人の家に宿泊している。 今日の宿泊先は父の留学時代の友人の家だ。日本人の奥様、そして旦那様が父の同じようなアーティスト。子供は2人いる。そんな家庭だ。 マンションの一室が自宅で、その家の中に半二階のようなスペースがある。そこは少し大人の目から死角になる為、子供の隠れ家になっていた… 隠れ家でこの家の子達と、ひっそりグミを食べたりもした。大半の人が、ご飯前にお菓子を食べ、食事時にご飯が食べられず親に怒られた経験が誰しもあるのではないだろうか。笑 お菓子につい
ニューヨークに来てから数日経った。 だいぶ慣れてきた♪ ある日いつもの通りガローや美術館を巡り、路地を歩いているとガタイのいい大きな男性が3人歩いてきた。 どちらかというと、ガラは悪そうだった。 男性達は15メートルぐらい離れていた。 父はすぐ私と手を繋ぎ、道を渡った。別の道に変えたのだ。 私『どしたーん?』 父『こいつは危なそやな。っていうのを察知したら、そもそも相手と目も合わさんと、出来たら道を変えるぐらいしなあかんで!! 今後人生で出会う人沢山おるやろけ
家に帰って、夜に備えて仮眠した。 夜に何があるのかって? STOMPだっ! まだSTOMPのことはよくわからない。 ただ、何か楽しそうな予感がした。日本にも来日したことがあるらしいが、父に言わせると臨場感が日本と全く違うらしい。 理由は簡単、開催規模が全く違うそうだ。 日本では大きなホールで沢山のお客さんを呼んで開催するが、NYでは小学校の教室ほどの空間で観れるからだ。 どんな演出か、何が起こるのか? 父の言う目の前で一生懸命演出する彼らのエネルギーとはどんな
今日もお父さんのガロー巡りが終わり、 お決まりのカフェタイムをして、私はお気に入りのフルーツサラダを食べ、市内の公園に来た。 今日の公園は少し高いめの柵に覆われていた。柵にはドアがついていて、ガッチャンとレバーを回したら中に入れる。 そして銀色の監視カメラがついていた。 『ねーなんでこんなカメラ多いの??』 と父に聞いた。 『誘拐が多いからだよ。日本みたいにここは安全じゃないんだよ。誘拐が多いから気をつけて遊ぼうね。』 そういって、『お父さん見ておいてあげるから遊んで
Hi How was your day? I walked around a lot of towns.... 今日出迎えてくれたのは鉛筆作家の方の夫婦の家だ。鉛筆で絵を描くのではなく、鉛筆そのものを削り黒い芯を残していき、物語のような世界をつくっている。アートも本当に様々だ。 作品を制作するアトリエの奥に部屋があった。 私は部屋に到着してそのまますーんとベットに落ちる様に寝てしまった。 AM3:00お腹が減ったなぁ…と思いながら天井を見上げるとベッドの真上に小窓
チャリン、チャリン、チャリン… 公衆電話に沢山のコインを入れて父は電話をかけだした。 到着して翌日、私はまだ時差ボケのままだ。 父の黒い手帳には、電話番号がいくつか書いてあった。心の中で『クラシカルなアポイントだな〜』と思いながら、道行く急ぎ足の人たちを眺めていた。 今なら携帯が当たり前だが、20年前に海外で携帯を使うことはしなかった。父は目星をつけていたガローに電話をして公衆電話でアポイントをとっていた。もしかしたら日本からメールをしていたのに追加して、『明日行くか
2001年5月、小学校の帰りの会で私は黒板の前に立たされた。 先生『明日から〇〇さん(私)はニューヨークに🗽行きます。少しの間学校には来れなくなります。みんなで、お見送りしてあげましょう。』 生徒『え?入浴するん?お風呂?』 先生『ニューヨークっていうところです!アメリカですよ。』 生徒『ふ〜ん』 私はみんなの前で何を話したか全く覚えていないが、『ニューヨーク』と言ったのに、知ってる音の『入浴』で返してくるクラスメイトの聞き間違えは、センスがあると感心したことを鮮明
『結婚』これについてどう考えるだろうか。 今この記事を読んでくださっている皆さんも、 『一度は結婚についてどう思う?』と聞かれたり、 『結婚したいと思って考えたこと』や、 『結婚に対しての憧れ』を抱いたことがあるだろう。 もちろんジェンダーの違い、年齢、置かれている状況、によって考え方は様々だと思う。 ただ、今日は私がいざ結婚して、 彼と一緒に住んで約1年。 私が学んだこと、感じたことを ほぼありのまま書いてみようと思う。 あくまで私の話だが、
noteはじめましての【かりん】です。 30代既婚。子供なし。女性です。 コロナ渦の日々ですが… 皆さん何されてますか? 旅行好きの友達は好きなことを失って撃沈してました。笑 新しい趣味皆さんはみつかりましたか? 私はどんな状況でも楽しく生きたい!!後悔とか嫌だ!!という精神で、こんな時も楽しくなんとかすごしてます。 コロナのおかげで今まで土日は友達と出かけていたのが、激減。 その代わり、 『時間(心の余裕)』 『お金の余裕』 ができました。 そこで2