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【世界遺産×音楽】クララ・シューマン

こんばんは。少しの間noteを離れておりました。
あっという間に2月も中旬ですね❣️
バレンタインデーが近づいてきたので、“音楽で愛を紡いだ夫婦”としても有名なシューマン夫妻、クララ・シューマン(1819-1896)の生涯と、関連する世界遺産をご紹介します💝


クララ・シューマン(1819-1896)


クララはドイツで活躍したピアニスト/作曲家です。
「シューマン」と聞けば、夫のロベルト・シューマン(1810-1856)のほうが広く認知されているかと思いますが、実は、当時はクララのほうが音楽家としての知名度は高かったようです!
クララの作品は1970年代になって再評価されるまでは、ほぼ忘れ去られた存在でしたが、近年になって作品が再認識されつつあります。


クララは音楽家の父フリードリヒ・ヴィーク(1785-1873)と、歌手として活躍した母のもとに生まれましたが、幼いころに両親が離婚し、父親に育てられました。

クララ・シューマン(1819-1896)
CC-BY Wikimedia

なんと7歳にして作曲を始め、9歳で公の場での演奏会を経験しています。12歳の頃には、父と共に演奏旅行へ出かけ、既にヨーロッパ各地で演奏会を開催するようになり、多くの音楽好きな著名人や皇帝、音楽家などからも絶賛されたと言われています🎵
例えば、ドイツで活躍した詩人、ゲーテは「才能ある芸術家、クララ・ヴィークのために」というメッセージを刻んだメダルを贈ったそうです😳
また、音楽家フレデリック・ショパンは「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性」と称えて、友人で音楽家のフランツ・リストにも彼女のことを絶賛していたとか♪

彼女は父親からの猛反対、そして裁判など数々の困難を乗り越えてロベルト・シューマンと結婚し、8人の子どもにも恵まれ、夫の音楽を広めるために尽力しました。ロベルトの精神状態の悪化と向き合いながら、夫の死後も自身の「音楽家としての道」を歩み続けました。


※因みに、ロベルトもクララの父フリードリヒ・ヴィークに2年間師事しており、父はロベルトの音楽的才能は評価していたそうです。フリードリヒはピアノ教則本なども出版しており、現在も使われています♪🎹

クララの父親 
フリードリヒ・ヴィーク(1785-1873)
CC-BY Wikimedia

※諸説ありますが、ロベルトの酒癖の悪さや浪費癖に危機感を抱いて、これまで愛情をもって育て上げた(&有名ピアニストに導いた)クララとは結婚させたくなかったのではないか…とも言われています。
クララの父は、シューマン夫妻の愛の物語上ではどうしても悪者にされがち(😂笑)ですが、父親の気持ちもわかる気がします。もう一方の側面から見ると、色んな考察ができますよね😌
(フリードリヒ・ヴィークに関する書籍を探しましたが、見つけられていません…)

クララの夫
ロベルト・シューマン(1810-1856)
CC-BY Wikimedia


世界遺産『ライン渓谷中流上部』


ヨーロッパを流れる大河、ライン川は『ライン渓谷中流上部』として2002年に世界遺産(ドイツ)に登録されています。全長1233kmの中で、ビンゲンからコブレンツまでの約65kmが登録範囲です。
周辺に広がる美しい自然や、壮麗な古城、ブドウ畑が点在するこの世界遺産は、「文化的景観」として登録されています🍷

© OUR PLACE The World Heritage Collection

この地はかつて(先史時代から)交通の要衝であり、川を行き交う船から通行税を徴収するため、多くの城が築かれました。しかし、戦乱の中で荒廃した城々は、19世紀に「ロマン主義」の波を受けて再建され、新たな魅力を放つようになりました。特に「ラインシュタイン城」は、その先駆けとなった城で、幻想的な雰囲気でそびえ立っています🏰

この渓谷には、約130mの高さを持つ岩山「ローレライ」もあります。川幅が狭まり、流れが急になるこの地点では、昔から多くの船が遭難してきたそうです。ここには、美しい水の精が舟人を歌声で誘惑するという伝説があり、詩人ハイネの「ローレライ」としても知られています🧚

ローレライ・ロック
CC-BY Wikimedia

壮麗な城と伝説が交錯するライン渓谷。この地は、詩人、画家、作曲家など多くの芸術家にインスピレーションを与えており、まさに「ロマン主義」の象徴とも言える世界遺産だと思います🥰

© OUR PLACE The World Heritage Collection


ライン川とシューマン夫妻の繋がり・作品


シューマン夫妻もこのライン川の美しい景観にインスピレーションを受けたとされています☺️

1850年、シューマン夫妻はデュッセルドルフに移り住み、ロベルトはこの地で楽団の指揮者を務めましたが、彼の精神は次第に不安定になっていきます…
それでも、クララは変わらず彼を支え、愛と音楽の力で寄り添い続けました。彼女にとってもライン川は、夫との日々を象徴する風景であり、芸術の源泉でもあったと思います🥲✨

ライン川の雄大な風景にインスピレーションを受けたロベルトは、「交響曲第3番《ライン》」を作曲しました。この作品は、ライン川の流れのように力強く重厚感があり、かつ繊細さも兼ね備えている傑作として有名です🥰✨


また、デュッセルドルフ時代のクララは、演奏活動を続けるだけでなく、作曲にも取り組んでいました。その代表作の一つとして『3つのロマンス 作品22』を挙げます🎹🎻
繊細なピアノとヴァイオリンの対話が特徴的で、温かく情熱的な旋律が印象的です。クララ自身もこの作品を「私の心の響きをそのまま映したもの」と語っており、この繊細で情熱的な作品は、彼女の想いが音楽に表れていると感じます💐


※因みに、シューマン夫妻が住んでいたデュッセルドルフのライン川は、世界遺産の登録範囲の流域からは外れていいますが、太古の昔から人々を魅了してきた絶景だと思います。私もいつか、のんびり訪れてライン川クルーズを楽しみたいです…🤤🚢


おわりに


今回も長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか?😌

クララは作曲家としてもピアニストとしても才能を発揮していましたが、当時は女性が作曲家になることは世間に認められておらず、女性であるというだけで曲を正当に評価されない…といった厳しい現実もありました🥺
37歳の頃に作曲家としての活動をやめ、ピアニストとして歩むことを決意します。(その後はピアノ教師としても活躍していました✨)

彼女が奏でた旋律の中には、ロベルトへの想いだけでなく、自身の強い意志や音楽への情熱も込められていると感じます。歴史に埋もれていた一人の女性の人生を、皆さんに知っていただきたいと思い、本日はクララ・シューマンについて綴ってみました😌💕

いずれは、ロベルト・シューマンについても焦点を当てて記事を書いてみたいです🤗
そして、よく「三角関係」として扱われてしまう(←本当のところは謎です😂笑)天才音楽家、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)についても取り上げてみたいと思います😉

また読んでいただけると幸いです♪

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