桃野雑派さんの『蝋燭は燃えているか』で京都の街を疾走
わたしたちは、1人ひとりが感情をもっていることがわかっているのに、SNSという舞台に上ると途端に、だれかを傷つけても平気になってしまうのはなぜなのでしょう。
そしてその平気さを後押しするのは、「片面から見た正義感」だったりもします。
これは、そんな正義感の脆弱さをあぶりだしつつ、被害者と加害者は紙一重であることに気づかせられる小説。
そこには、正義感に訴えながらも、相手をコントロールする心理があることもわかります。SNSを無意識に使いながら誰かを追い込む心理の描き方が見事です。
宇宙旅行の帰還時の生配信に始まり、京都の街のあちこちで起きる事件のスピード感と、明らかになっていく背景の多重性とそれがつながっていくのを読み解く快感。
タイトルの蝋燭とは、あれです、あれ。
主人公の周の行動力と、台詞に惹かれます。それから友達を想う気持ち。
決していわゆる陽キャではない主人公たちが、真実に近づいていくさまと、論理的な謎解きのような部分、家族愛などが複層構造となってこちらもまた読んでいてスッキリなのです。
本を読み終えたとき、すぐにまた周の活躍を読みたいと思いました。
続編希望です。