【シロクマ文芸部✖️曲からストーリー】この地球のどこかで。
秋が好きだ。
太陽は熱さを失い、影を持つ。
木々は葉を失い、自らを守る。
水は温度を失い、生物たちが眠りにつく。
昼は光を失い、夜に侵食されていく。
すべての生命が
終わりへに向かっていくかのよう。
今の僕はまるで秋だ。
光が見つからず、道を見失っている。
こんな時、僕がすることはただ一つ。
🍁
そうして僕はバックパックひとつ背負って、
パスポートと必要なものだけを詰め込んで、
あの場所へ旅立った。
やるべきことは確かにそこにあった。
だけど…
醜い仮面を被って誰かを蔑むことでしか
立っていられない人間の群れの中、
どれだけ乾いた砂を掻いても掻いても、
水を見つけ出すことはできなかった。
乾き切った喉を潤すことができずに、
このままここで砂に溺れて息絶えてしまいそうで。
僕はもがいた。
そこはヨーロッパやアメリカのような
華やかなものは何一つない。
どちらかというと、
好んで旅行に行きたい場所ではないかもしれない。
切り立って聳えるあの山の頂に、鮮やかな衣装を身につけた人々が、むせ返えるようなお香や生活の匂いの中で笑い合っている。
便利なものなど何一つない部落で、彼らが確実にそこで生きていることを肌で直接感じ取りたかったのだ。
そこに山があるから山に登るように、僕は脇目も振らず標高3000mのタクツァン僧院を目指した。
生まれて初めて馬に乗り、ゆったりと揺られながら少しずつ標高を上げていく。ここブータンの人々は日本人とよく似ている。主食も米だし、唐辛子の量が多いが辛いものの好きな僕には性に合っていた。
民族衣装を着た彼らは、どことなく本当の顔をしているように見えた。きっと一生懸命生きているから、何も取り繕う必要はないのだ。辛い時は辛いといって助け合い、嬉しい時には嘘偽りなく喜び合うことができる。
途中の休憩所でチベット地方でよく飲まれているスージャ、いわばバター茶を飲んだ。黒茶にヤクの乳から作ったバターと塩を加えたもので、体が温まるので標高の高い地域では欠かせない飲み物らしい。
初めてのスージャはどこか懐かしい味がした。こうして現地のものを食すことで、体がどんどんこの地のものになっていく感覚が心地良い。
ふと視界が開けると、崖に作られたタクツァン僧院が飛び込んできて、僕はそれまでの疲れが一気に吹き飛んだ。寒くなってきたので上着を羽織り、観光客とともに登ったその先から見えた景色は、まるで異世界に入り込んだかのよう。
陽の光が差して、眼下を照らしていく神々しい景色に、僕は思いがけず涙がこぼれた。たとえあなたの姿はどこにもなくても、その温かさをじんわりと感じるかのように、優しい風が僕を迎え入れてくれる。
きっと日本でもそうだったはず。
僕は気づくことができなかった。
五感を研ぎ澄ませ、風の声を聴くように。
すべてが灰色に見えていた目に、すべての色が飛び込んでくるかのような衝撃が走る。
手足が脈打ち温かくなっていく。
僕は地に足を付けて立っていることを、
ようやく実感した。
こうして僕という生き物が地球の上で生きている。
ただそれだけのこと。
英語とゾンカ語、そしてよくわからない言語が行き交う寺院で、鮮やかな服装とお香の匂いに揉まれながら、僕はその場を後にした。
不思議と胸の支えが取れたような、頭を押さえつけていた何かが外れたような開放感が込み上げてくる。
道なら探していけばいい。
雨が降ってもその雨の冷たさに、土の匂いに、
好きなだけ歌えばいいじゃないか。
秋の次には冬がくる。
冬を耐えれば春になる。
僕らはこんなに自由なんだってことを、
今までなぜ忘れていたんだろう。
僕は軽やかに帰路の階段を駆け降りた。
後ろで知らない誰かが、知らない言語で話しかけたような気がしたが、構わず僕は道を進んだ。帰り道はまだまだ長い。
ブータンは幸福を感じる国No. 1、なんて言われていた時代があって、その頃なのかそれより前なのか忘れたけど、なぜか妙にチベットの景色と民族衣装に惹かれて、行ってみたくて旅行記を読んだりしてたことがありました。
「地球儀」でなんとなくブータンを思い出して、そのときの気持ちを込めてみました。
※画像はすべてフリー素材です。
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