《アニメ感想》葬送のフリーレン
葬送のフリーレンを一気見しました。
おもしろかった。
何だろう、なんか心落ち着く感じ。
冒険ファンタジーなんだけど、フリーレンやフリーレンの弟子のフェルンの話口調が落ち着いているからかすごく静寂な気持ちで見ていられる。
静寂の中に時々心に染みるような言葉がポトンポトンと落ちてきて、何だか心地いい。
葬送のフリーレンは観たいと思っていたけど、ここ何年かは連続もののアニメを見る時間の余裕も無くて観れないと思っていた。
でも、noteを書くようになり、意外と時間は作れるものなんだなと思った。観れないっていうのも自分の思い込みだったんだなと。
葬送のフリーレンを知ったのは助産学校の卒業記念公演に来てくれた「エンドオブライフケア」の講義をしてくれた先生が、その一部を切り取って流してくれたから。
切り取ってくれた部分は『人はなぜ生きるのか何のために生きるのか』の部分。
「何のために人を助けるのか」というフリーレンの問いに勇者ヒンメルが答える
「自分のためかもな。誰かに少しでも自分の事を覚えていてもらいたいのかもしれない。生きているということは、誰かに知ってもらって覚えていてもらうことかもしれない。」
フリーレンは更に問う「覚えていてもらうためにはどうすればいいのだろう?」
勇者ヒンメルは「ほんの少しでいい、誰かの人生を少しだけ変えてあげればいい。きっとそれだけで十分なんだ」と答える。
何千年も生きるエルフであるフリーレンにとって自分を誰かの記憶に残すという事は難しい事で、自分を記憶する人達は先に死んでいってしまう。そうした月日の中で、誰かの記憶に残るために誰かのためになろうという考えは自然となくなっていたのだと思う。淡々と生きていく日々は生きているということすらも忘れる日々であったのでは無いかと思う。
人が人と関わるということ、誰かの記憶に残るための関わりをするという事は自分が生きている事を自分自身が知るための確認作業のようなものなのかもしれない。
私は看護師として働く中で、自分の関わりによって相手の考えや気持ちが動く事が段々と怖いと感じるようになった。それが良い方にでも悪い方にでも。だから当たり障りのない関わりや、影響のない声かけをするようになってきていると感じる。
私という人間が誰かの記憶の中に残る事は怖いと感じる。そんな影響力は自分には無い。自信がないと感じるから。
子どもと関わっていてもそう。私の関わりで子どもたちが受ける影響を怖いと感じる。私とは関わらないで、自分の持っているものを存分に感じて伸ばしていって欲しいと思っているのに、それでも母として関わる中では否が応でも影響を与えてしまっているんだろうと、日々後悔ばかりしている。
影響を与えて、誰かの中に残りたいと素直に思える自信。さすが勇者様だ。と感じてしまう。
でも、そんなに難しく考えることでもないのかも知れない。誰かの記憶に残ること、誰かに影響を与える事は、その誰かのためでは無く、自分のためなのだから。
私の自分嫌いが他の人との関わりを怖いと感じさせているのかも知れない。
もっと自分に素直に、自分に優しくしてあげる事が大切なことなのかも知れない。
そうすれば自然とまた誰かの心に関わって、誰かの記憶に残る事を嬉しいと思えるようになるのかも知れない。
現実にはエルフのように何千年も前に出会った人の記憶を持てる人はいない。だからこそ自分の記憶の中の先人たちを想い、誰かに伝えていくことや、自分自身が生きているという事を誰かの記憶に託していく事は大切な事だ。
せめて、子どもたちの記憶にある私が、子どもたちのこれから先の人生において励みになるように。その時の記憶を踏みしめて先に進める良き道となるように。一緒に旅をしている今くらいは笑って、たくさん寄り道をして、たくさんの思い出を作ってあげたい。
私がいなくなった時に、私から離れて歩くようになった時に、フリーレンが何度も何度も勇者ヒンメルやその仲間たちとの記憶を思い出すように。思い出した時に、自分は1人じゃないんだと心強く想えるように。子どもたちが自分たちは愛されていたんだと思い出せるような、たくさんの思い出を残してあげられるように。
まだまだ頑張らなきゃな。
心穏やかに、そう思えました。
とても優しい気持ちになれるアニメでした。
ありがとうございました。
続編が楽しみ!!