"trauma"
思い返せば私はずっと、わざと自らの心にトラウマを植え付けるような生き方をしてきました。
【閲覧注意】【放送禁止】【WARNING】
この文字列を見ると今も心がざわつきます。
見てはいけないもの、触れてはいけないものにしか興味が持てなくて、知ったところで後悔すると分かっていても、知りたいと思う欲望だけが肥大化してゆく。
怖いもの見たさのような、何かに急かされて。
最初はこの目を両手で覆い隠すも、指と指の間を少しづつ開けて、その隙間から徐々に目を開き、得体の知れないトラウマの原因を直視せずにはいられない。
心臓の鼓動がどんどん早くなって、興奮している自分がいるのが分かる。
「ああ今、私、気持ちよくなってしまっているんだ」
今更このどうしようもない事実に気付いたから、文字という形でここに"傷"を付けようと決めました。
思えば、私がここまで性に敏感なのも、以前noteで話した通り中学時代のトラウマがあったからです。
あの瞬間、"気持ちいい事"は"イケナイ事"だという認識が生まれ、そうなると"イケナイ事"に益々興味が湧いてしまう。
「トラウマ」とは、古代ギリシア語で「傷」を意味する言葉なのだそうです。
"深く心に残る出来事"
紛れもなく、それは"傷"でした。
その時の形そのままに私の心に刻まれた、一生癒えない傷。
多分、私の中のトラウマは、すごく深い一本の線のような傷で、私の身体の中心を貫いているような気がします。
その傷口は開いたり閉じたりを繰り返していて、その度に自ら傷を舐めるようにして生きてきました。
私にとってそれは、病んでるとか、可哀想とか、そう思われるような事ではないんです。
だって私自身はその傷が病や悪だとは思っていないから。
傷も私の一部なのだから、その傷が今の私を作ってくれたのだから、まるごと抱きしめてあげたいと思っているだけなんです。
私は、一般的にネガティブなイメージを持っている言葉や物事を、その印象のまま受け取る前に、一度あらゆる先入観を排除するように努めています。
物事には必ず二面性があると思っているから、一つの側面にのみ固執する事は危険でもあるし、感性に乏しい事のような気がしています。
それに、善を善、悪を悪たらしめるものはその時によって異なるから、全部が全部その通りという訳では無いはずでしょう。
私達がはじめから何かを決め付けるのだって、考えてみれば少々傲慢な事なのです。
一憂鬱、穢れ、誤り、罪、そして、トラウマ。
私の人生は、この言葉達が無ければきっと説明がつかなくて、退屈で、誰にも理解してもらえないだろうし、自分自身ですらも理解し得ないものだったでしょう。
それらはいつだって、行き場の無い感情や、迷える心の拠り所になってくれた。
だから私にとってはどれも大切で、綺麗で、愛おしい。
自分をその"傷"ごと抱擁する事は、決しておかしい事でも、恥じる事でもないと思うんです。
だから怖がらずに教えて欲しい。
貴方の中のトラウマは、どんな形をしているのでしょうか。
何がそれほど貴方を傷付けたのでしょうか。
その傷はどれほど深いものですか。
今もまだ、傷は痛みますか。
私にも見せて、トラウマの断片を。
舐めさせて、その傷口を。
そうしたら次は、私が貴方のトラウマになる事を願って生きていけるから。
いつかこんな私でも、見知らぬ誰かの特別な"傷"になれますように。
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