ガラクタ航海記
暑いと思って目を覚ますと、窓辺の机に見知らぬ人影が座っていた。目だけ白く浮かび上がっていて、銀色のバッヂが光る制帽と肩掛けカバンを下げていた。夜色のシルエットは、ほおづえついたまま「どうしたものか」といわんばかりに首をかしげた。
「誰?」
と、わたしが尋ねると、彼女は答えた。
「やや、夜分遅く、まことに失礼いたしました。わたくしは、子ノ刻市中央郵便局の配達をしている者です。ご迷惑をおかけするつもりは、さらさらなかったのでありますが、なにぶん船が壊れてしまいましてね。港を出られなくなりましたのでございますよ」
「港?」
郵便士はヒョイっと机から降りると、カバンから白い名刺を取り出した。差し出された名刺には『子ノ刻市中央郵便局・臨時集配課』という肩書きがあった。それから、住所も書いてある。けれど、そんな名前の街なんか聞いたこともなかったし、だいいちここは港町じゃないのだ。
「これが、問題の船です」
彼女が指さしたのは、わが部屋の気候を司るエアコンであった。郵便士の指先にあるエアコンは、うんともすんとも言っておらず、ただポタポタと不気味な水を垂らしているだけであった。それもそのはず、今朝方、十五年の長い寿命を誇る中古エアコンが、ついに壊れてしまっていたのだ。
「……エアコン?」
「いいえ、船でございます。わたくしは、ゴジカンゴにお手紙を届ける必要があるのですが、この船はどうやら海の底へと沈んでしまったようなのですよ」
郵便士はそう言うと、困ったように笑った。
「なんだかよくわからないけど、壊れているようじゃわたしも困るんだよ……」
わたしがそういうと、郵便士は再び頭をポリポリかきながら、「うーむ」とうなった。そして、しばらく考えた後、こう言った。
「では、なんとかサルベージする方法を考えましょう。あなたにも協力していただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
もちろん、わたしはすぐにOKした。すると、郵便士はニコッと笑って、帽子をかぶると、ドアから出ていった。
***
水色のソーダ瓶。桃の空き缶。壊れた扇風機。穴の空いた麦わら帽子。折れ曲がった物干し竿。プラスチックが黄ばんだ電子レンジに、ボロ布をまとったラジオ。割れたガラスコップの破片。空っぽになったペットボトルの山。画面がひび割れたブラウン管テレビ。どれもこれも使い古されたガラクタばかりだった。
郵便士は、ヨイショとガラクタを抱えて玄関を開けると、それらをどさどさと床に下ろした。
「どうしたの? それ」
「サルベージの準備です。まずはこの部屋から使えそうなものを全部集めてください。なるべくたくさんお願いします」
そう言われても、何に使うのかさえ分からないようなものまであったのだが、とりあえず言われるままに、手当たり次第に集めた。結局、大きな段ボール箱二つ分くらい集まったところで、郵便士は満足してくれた。
「これで十分でしょう」
彼女はそう言って微笑むと、今度はキッチンに向かった。流し台の下に手を突っ込んで何かを探していたが、やがて目当てのものが見つかったらしい。
「ワイングラスなんて、何に使うの?」
「メインエンジンの修理に必要な部品なんですよ」
郵便士は、手に持っていた小ビンを見せると、ニッコリとした。
ガラクタたちは、郵便士の手によって次々に組み合わされて行った。壊れた傘立てみたいなものに電気コードを差し込んだり、小さな鍋釜をつないだり、壊れかけた棚を分解したり……。そんな作業を黙々と繰り返していた。わたしはというと、何もすることがなかったから、ただそれを眺めているだけだった。デスクライトの下で読書でもしようと思ったのだが、あいにく手元にあった本はすべて作業に使われてしまったのだ。
二時間ぐらい経っただろうか。エアコンの動かない部屋は、蒸し風呂のように暑かった。額から汗が流れ落ちるほどだ。郵便士は、相変わらず涼しげな顔で作業をしていたけれど、さすがに息苦しくなったらしく、額の汗をぬぐって言った。
「なんとか出来上がりました。理論上は、動くはずなのですが……。何しろ、緊急用ガイドブックを読んだのは久々ですからね。自信はないのです」
部屋の中に立ち上がったのは、何が何だかわからない、巨大な機械だった。コードがあちこちでぐるぐる巻きにされていて、その先には冷蔵庫とか洗濯機とかテレビとか扇風機とか、とにかくありとあらゆる電化製品がくっついていた。おもちゃの電車がなぜだかレイアウトされていて、複雑な立体交差を行ったり来たりしていた。アンテナのようなものまで付いていた。
「……これは?」
「わたくしたちの乗ってきた船でございます」
郵便士は誇らしげに胸を張る。
「さあ、出発いたしましょう!」
彼女はそう言うなり、わたしの手を取って、その船に乗り込ませた。それから自分も飛び込むようにして乗り込んできた。麦茶ポットのレバーをガチャリと引くと、バチバチと火花が激しく飛び散って、彼女の制帽を吹き飛ばした。そして、次の瞬間には、もう蒸気が噴き出していて、部屋の中は真っ白になってしまった。機械はふわりと浮き上がると、古いワンピースやなんかを何枚か吹き飛ばし、部屋の真ん中に空いたブルーの穴に向かって飛んでいった。
***
郵便士が操縦桿をグッと押し下げると、船は勢いよく下降を始めた。窓から外を見ると、海面がグングン迫ってきている。まるで、潜水艦に乗って海中深く潜っていくみたいだった。
「どういうこと!?」
「時間の波です。あの細波が一秒で、大波が一時間です。だから、わたくしたちがこれから行くところは、ちょうど一時間が経過した後の世界ということになるわけですね」
郵便士はそう言いながら、舵輪をクルッと回した。すると、船は方向転換して、逆向きに進み始めた。窓の外に見える景色がどんどん変わっていく。海が遠ざかっていくのと同時に、わたしの住んでいた街が小さくなっていった。やがて、街の灯りが見えなくなったころ、船は減速し始めた。
「ありました! わたくしの船です! あれですよ!」
彼女が指差す方角を見てみると、そこには見覚えのある形をした船があった。わが家のエアコンである。それは、いつもの通りにゴトゴトと動きながら、海の底へと沈んでいっていた。
「どうするの?」
わたしが尋ねると、郵便士はニヤリと笑った。そして、懐から拳銃を取り出すと、銃口をエアコンに向けた。
「撃ちますよ」
郵便士は短く言うと、引き金を引いた。パンという乾いた音が響いて、細い鎖が飛び出していくと、海の底からエアコンを引き上げた。そのまま空中に浮かび上がったエアコンは、郵便士の船の横にピタリとくっついた。
「さて、それでは行きましょう」
郵便士はそう言って微笑むと、再び舵輪をグルっと回転させた。すると、船が急加速を始める。慌てて座席にしがみつく。船はぐんぐんスピードを上げていった。あっと言う間に海の上に出ると、空高く舞い上がって、月明かりの中を突き進んだ。大和絵みたいな雲が後ろへと流れて行く。そして、星が瞬く夜空を通り過ぎて、眼下に見慣れた家と屋根が現れた。
「ねえ、これどうやって降りるの?」
「当たって砕けろの精神が、時には大切になります」
ドーン!
***
気がつくと、わたしはガラクタだらけの布団の上で寝転んでいた。体を起こして辺りを見回すと、そこは間違いなく自分の部屋であった。目の前にあるのは、パソコンの電源ランプ。机の上には書きかけの手紙。読みかけていた本。空っぽになったコーラのペットボトル……。何もかもが、元通りになっていた。
「夢だったのかな……」
ふと気がつくと、エアコンからそよそよと涼しい風が吹いていた。その風に揺られて、穴の空いた麦わら帽子がパタパタと音を立てていた。今日も、暑い一日になりそうだ。