「No.2の参謀役」はカッコよくないぞ、って話
1.No.2ってカッコいいと思うねん
人には得て不得手や特性に基づいた、役割がある。
シャーロックホームズは探偵として数々の難事件を解決する一方、ワトソンはシャーロックホームズの語り手として本を執筆する。
まさかシャーロックホームズに本を書かせ、ワトソンに探偵業をさせたりする事を向いてると思う人はいないだろう。
社会においても同じことが言える。
自動車の製造に特化した会社は、自動車を開発する。
「クッキー工場で自動車を開発しよう!」
なんてことはそうそう起こらない。
もっとスケールを小さくすれば、会社や友人関係といった「組織」においても、個人が担う役割は存在する。
そんな会話をしている中、起業を考えている友人が次のように語った。
「No.2がかっこいい」
ここで語られている「No.2」とは、リーダーの補佐役・参謀役という意味付けである。少し具体的に記載すると以下のようになる。
先んじて述べておくが、個々の価値観は自由であり、その自由は大いに尊重されるべきである。
たが今回はその限りではない。
「2番手がかっこいい」この考えは認める。
しかし「参謀役」としての「No.2」は決してカッコよくない。
駄文にはなりますが、少し読んでいってもらえると嬉しいです。
◇
2.やるなら軍師さん
結論これにつきる。軍師がカッコよくない。
「何が軍師だ」と思った方、もう少し待ってほしい。
読者の中には組織の「No.2」がカッコいいと思っている方もいると思う。
これに関しては概ね間違っていない。
現実世界やアニメでは、しばしば「カリスマ的No.2」として描かれる人物像も多い。
例えば漫画『東京卍リベンジャーズ』では、巨大組織の総長「マイキー」の絶対的な相方として「ドラケン」が存在し、高い人気を博している。
天上天下唯我独尊を体現するマイキーの身の回りのお世話をしつつ、メンバーが感情的になる状況下においても、冷静な行動を取る。
まぁ、かっこいいわな。
(※私個人の考えです)
大いに理解できる。カッコいいわ。逆に多くを語りすぎると、彼の評価を下げかねないので、ここでは割愛する。
現実世界ではどうだろうか。
私は歴史上の偉人で「The No.2」といえば、鉄血宰相ビスマルクを想起する。
プロイセン・ドイツ帝国の政治家。ヴィルヘルム1世のもとでプロイセン首相として…
と、話しても1ミリも興味を持たれないと思うのでこれも割愛する。
他にも現在騒動の渦中で奮闘しているNo.2として、Repezen FoxのDJ foyがいる。
以上列挙した「No.2」を「参謀役」と解釈ことは、巨大な誤りを生むこととなる。
この「参謀役」の価値を見直すきっかけとなるのが、伝説のニート「軍師」の存在である。
簡単な説明をすると、
という思想を持つ人物である。
ここで述べられている「軍師」の役割とは
ということが読み取れる。
要約すると
責任も取りたくないし、怒られたくもない
という自己尊厳を高めたニート万歳の思考である。
気持ちは凄いわかる。
ここで一回、上記で述べた組織のNo.2に「参謀役」として軍師さんを当てはめてみてほしい。
堅牢な組織は忽ち砂上の楼閣と成り変わる。
音を立てて崩れ落ちていく。
もしくはあなたの職場で、一見頭脳派として周囲に指示を与えているが、自分は一切行動をしない、それなのに失敗の責任は部下に押し付けてくる人間がいたらどうだろうか。
軍師さんから学べることと言えば、「責任能力」こそ組織もしくは社会で大きく求められる能力であるということだ。
◇
3.Duo理論
前段においても述べているが、
「No.2がカッコいい」という考えは別に間違っていない。
「No.2が"参謀役を"担っていてカッコいい」
ここに一石を投じたいのである。
「2番手が参謀役"も"担えるからカッコいい」のだ。
もっと掘り下げて話せば「2番手を担えるからカッコいい」のだ。参謀役自体の価値は低い。
◇
バスケットボールリーグの最高峰であるNBAの強豪チームでは「Duo」と呼ばれる、エース選手を2人揃える体制を敷く。
※近年では「Big 3」と呼ばれるエースを3人揃えることもある
エースを複数人揃える主な目的としては、攻撃の的を1つに搾らせないことがある。
もし仮にエースが1人であれば、相手はエースを抑え込むディフェンスに尽力する。
しかしエースが2人いることで、ディフェンスは両方に注意を払わなければならない。ここに駆け引きや隙が生まれ、オフェンスが展開される。
「Duo」と言えども、2人のエースの間にも序列は存在する。
その「2番手」となった選手に求められるものとは一体何か。答えとしてはとても明瞭なものだと思う。
「エースの代わりにエースになれる選手」であろう。
例えばエースが怪我で不在の時や、エースが不調で苦しんでる時、本来「No.2」として置かれていた選手が「エース」の仕事を代行する。
◇
長々と語ってきた「カッコいいNo.2」についても、同じことが言えるのではないだろうか。
宰相ビスマルクはヴィルヘルム1世に代わり、政治で主導権を握り、ドイツ帝国の発展を支えた。
『東京卍リベンジャーズ』のドラケンについても、マイキー不在時には、精神的支柱としての役割を果たした。
DJ foyについても、DJ Shachoが表舞台に日々が続いている中でも存在感を発揮し続けている。
いずれの「No.2」も「No.1」を担える力量があるからこそNo.2としての魅力が増しているのではないだろうか。
「やるなら軍師」さんの反省を踏まえて「カッコいいNo.2」について再定義するなら
となる。決して「No.2は参謀役を担っているからカッコいい」なんて幻想を抱いてはいけない。
自分のチームのサブリーダーに軍師さんが来たらどうするんだ。目も当てられないぞ。
◇
4.さいごに
人には得て不得手や特性に基づいた、役割がある。
各々失敗と成長を繰り返して、担える役割を進化させていく。
シャーロックホームズが「1番手」だとすれば、ワトソンは「2番手」なのか。
シャーロックホームズが批判に晒される時、ワトソンも一緒に矢面に立ち批判を浴びるのか。ワトソンも「シャーロックホームズ」の代わりのエースとして存在感を発揮するのか。
恐らく発揮しない。私の定義ではワトソンは「2番手」ではなく「助手」なのだ。さらに言えば「やるなら軍師さん」に近い。
だがしかし斯く言う私も「ワトソン」に近い存在である。この文章は、自戒の意味と「ホームズ型の人間」への最大の賛辞を込めて書いたものである。
以上