身体は受信器
先日、人生で数回振りか、くらいな久しぶり感でマッサージにいった。
(→「受け取る決意」)
(→「やり残したことをやる月間」)
今まで、心や魂に優しくすることには心がけていた。
身体も、休むとか撫でるとか、自分なりには優しくしているつもりだったけど、まだまだだった。
どこかで、身体は自分そのものではないから、という意識が、身体に寂しい思いをさせていたんだ、と気づいた。
魂の器。
器だから大事。
だけれども、どこかで、
魂そのものじゃないからそこまで大事じゃない。
みたいな意識。
ハッピーちゃんが初期のころから「マッサージはコスパがよい。なぜなら、その時の気持ちよさヲひたすら感じて味わえるから」、っと。たとえお金がかかったとしても、それ以上にエネルギー的にコスパが良い、っと。
この話はそれこそ初期の頃、何年も前から聞いていたけど、右から左だったようだ。
昔も見返しが酷くなったこととや、なんだかんだお金がかかるからと、私には関係ないこととしていた。
でも、私は口癖のように、「プロの専属の人にボディメンテナンスをしてほしい!」っとよく言っていたw
でも、せいぜい自分でやるか夫にやってもらうぐらいだった。
これはいかん!っと誕生日であり新月の日に思い立ち予約をした流れだったのだが。
もう最高。
セラピストさんには身体が欲しているといわれ、なぜかサービスしていただき。
そのマッサージに行く前も、知人からプレゼントされたエステで、美容機器を使ったもののみと思ったら、なぜか頭首肩デコルテとたっぷりマッサージしていただきまして。
とにかくひたすらに身体メンテナンスディだった。
しかも人様に委ねるという・・・。
身体がほぐれると、身体は受信器だからより受け取れる。
もろもろ色んな肩にサービスしていただいたことも本当に感動・感謝・感激だったけれども、その後ドラッグストアにいって探し物をしていたら、店員さんが「何かお探しですか?」っと声掛けしてくれて。
これて些細なことだけど妙に感動。
だって、ほんとそこらへんの大手ドラッグストアで、今までそんな声掛けされた記憶がないところだったから。
その上丁寧にご案内してくれて、とても印象的な出来事だった。
身体は受信器であり、意識の上でも人様に委ねる・・・・が少しずつできるようになってきたからかな。
ありがたい。