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美術のド素人が原田マハを読んだら #1

 学校時代「読書感想文」というものに苦しめられた人は多いのではないでしょうか?私もその一人です。note を始めて半年以上が経ち、これまでいくつか駄文を投稿してきましたが、最近原田マハさんの本を何冊が読む機会があり、子供時代のリヴェンジをできないか…と考えたのでした

タイトルについて

 今回は「いかにも」なタイトルをつけました。ネット上のコンテンツ(YouTubeや note 等)ではこのようなタイトルが溢れており、はっきり言うと好きではありません。しかし今回の記事にはどうもこのタイトルが合うような気がしましたので素直にこうしてみました。

「読書感想文」はなぜ書けないのか?

 現在は文章を書くことが割合好きなのでこのように note に投稿して、運が良ければ幾人かの人に読んでいただいてるようです。しかし子供時代はなんであれほど書けずに苦しんだのかと思い返しますと、、、ズバリ感動してなかったからです、きっと。「課題図書」から選ぶというのがそもそもいけません。決められた中から渋々選んで無理やり読んで、つまり書いてある文字は確かに読んだけど中身は自分の心に届いてない、そういう状態で何も書けるわけはなかったのです。しかも感じたことを文章にするなど子供に簡単にできることではありません(今でも苦心しているのに)。

なんで原田マハか?

 私には今年80歳になった母がおり、実家で黒猫と一緒に暮らしています。この母が実は無類の本好きで美術好きなのです。「本がなかったら生きていかれない」という人でして、しかも「もし生まれ変わるなら、お金持ちになって画廊を経営し芸術家の支援者パトロンになりたい」との希望を持っております。「いや、芸術家そのものにはなりたないの?」という疑問は残りますが…。まとにかく現在はわずかな年金とそれを補う週に2,3日のパート収入で暮らしていますので、好きな作家の個展に出かけていっても作品を購入する余裕がないというのが大変悔しいそうです。

 そんな母の無事を確認しがてら月1くらいで実家に帰るのですが、その際母の書棚を見回しその時の気分で「ぁ、これ読んでみたい」と思うものがあれば借りてくるので、実家はいわば図書館代わりになっています(普段借りるのはノンフィクション系がほとんどです)。ある時、最近よく耳にする「原田マハ」が何冊も並んでいるのを発見し「この人面白いのん?」と訊ねたら「面白い」というので読み始めたらハマってしまったという次第です。ちなみにこれまで読んだマハ作品は「キネマの神様」「リーチ先生」そして今回感想文を書こうとしている「ジヴェルニーの食卓」です。

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マハ作品に通底するもの

 まだ3作品しか読んでいませんが、なんとなくそれらに共通する隠れた小テーマのようなものを私は感じました。それは《父と子》《無名の才能が巨匠と出会う》《師匠に追いすがる弟子》といったもので、これらが物語を面白く特徴づけるエッセンスのようになっています。もちろんマハさんがこういうことを意識しているかどうかなど私は全く知りません。私がそう感じただけのことです。前置きが大変長くなりました。

印象派って・・・

 この「ジヴェルニーの食卓」には四つの独立した物語が収められています。独立してはいますが、四つをくくる共通項があり、それが「印象派」です。聞いたことのある言葉ですが「印象派とは?」と問われても私は答えられません。「モネ?」くらいが関の山です。先述の「リーチ先生」では「白樺派」が登場しますが、これも同様に、教科書に載ってたよな、で終了です。そんな美術に関してはド素人の私でもグイグイ引き込まれていくのがマハ作品であり、今回の「ジヴェルニーの食卓」は格別でした。

 ところでこれは印象派の有名画家達の伝記なのかというと、違うんですよね。小説です(多分)。もし伝記だったら私のような美術に疎い者は退屈で最後まで読めないと思います。一応美術史の「史実」にのっとって書かれているようですが、どこまでが史実でどこからがマハ製なのか素人の私にはやはりわかりません。しかしそんなことはどうでもよくて、とにかく面白いのです。これは「マハマジック」としか言いようがありません。

コート・ダジュールの眩い光

 マティス(とピカソ)が登場する第1話は、70歳になる「マティスの元家政婦」が「ル・フィガロ」紙のインタビューに答えながら当時を回想するという形で進みます。孤児院を巣立ち、あるお金持ちのやしきに家政婦として雇い入れられた花と芸術が好きなこの少女は、ある「きっかけ」で憧れのマティスの家政婦となるのですが、そのいきさつが実にドキドキ・ワクワクする言葉で語られます。この出来事が私的小テーマの一つである《無名の才能が巨匠と出会う》瞬間です。

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 マティスの邸は南仏コート・ダジュールにありましたが、この章ではこのマティスが愛した紺碧海岸の「まばゆい光」がたびたび様々な言葉で表現されます。そこが私を引き付けた要素の一つでもあります。なぜなら私は大学3年生の夏休み、フランスに7週間滞在し、そのうち3週間をコート・ダジュールの語学学校で過ごしたので、その「光」を実際に体験しているからです。それはもう30年近く前のことですが、毎朝宿舎の雨戸を開けるたび、地中海が反射する陽光に感動していました。この章を読んだとき、瞼に焼き付いているその光の映像が久しぶりにはっきりと甦りました。なのにマティスについてほとんど何も知らないとは、私って残念な人です。

マティスの墓

 元家政婦マリアによって、マティスがどういう画家であったか、どういう人間であったか、またピカソとの交流の様子などが様々に語られます。それはもうマハさんの芸術家愛と言葉の巧にやられれてしまいます。例えば、ピカソは26歳の時にマティスによるある一枚の絵を見て衝撃を受けたそうですが、それを語る一節がこうです。≪ 奔流する色彩、のびのびと躊躇のないフォルム、満ちあふれる生の輝き。その絵がピカソの前に現れなかったら、二十世紀の芸術は、もっと違うものになっていたかもしれません。≫

 マハ作品で登場する芸術家には、その巨匠を熱烈に師事する弟子がしばしば登場します。この章では、正確には弟子ではなく家政婦です。マティスは、ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の壁画など内装全てを手掛けたそうですが、この元家政婦マリアによると、マティスはこの礼拝堂の仕事は自分の墓をこしらえるような気持ちで取り組んだのではないかと言います。(実際のマティスの墓は別の場所にあります)幼くして両親をうしなったマリアにとって唯一の心の慰めであったのが絵画であり、マティスは彼女にとって芸術の全てでありました。そのマティスに一生仕えたいと願っていたマリアはマティスの死後、このロザリオ礼拝堂に赴きます。そこでマリアが選んだ道とは…。ここも私的小テーマの一つ《師匠に追いすがる弟子》が当てはまります。

 これまで読んだマハ作品では、大抵は主人公となる弟子が師匠に異常に執着します、「一生おそばでお仕えしたい」と。しかしそのほとんどはかないません。これっていったいなんなんだろう?と考えていてふと思い浮かんだのが、この弟子(或いは家政婦)はひょっとしてマハさん自身ではないのか、ということです。彼女は芸術が、芸術家がそれはもう好きで好きでジリジリと恋焦がれているのではないでしょうか。ですから主人公はいつも師匠である巨匠を粘着質な「下から目線」で見つめながらどこまでも付き従おうとするのです。

 まだ続きがありますが、今日はこの辺で。ここまで読んでいただきありがとうございました。(もしよろしければ続きはこちら👇)

 


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