リチャード・セネット|クラフツマン:作ることは考えることである
「労働する動物」vs「工作人」
本書は、著者であるセネットが、ハンナ・アレントの「労働する動物」という考えに対して抱いた疑問から出発する。まずは、アレントの考えから紹介したい。アレントは人間には二つの次元があると考えた。一つは、「モノを作る」という次元であり、この次元において、人は考えることを特段せずに仕事に没頭する。これが「労働する動物 animal labourans」である。もう一つの次元は、より高尚な次元であり、「なぜ」モノを作るのかといった疑問やその判断にこだわる。これが「工作人homo faber」である。アレントは、原爆を発明したオッペンハイマーは「労働する動物」の次元にあり、その善悪などを思考する「工作人」が必要だと考えたのだった。
セネットの主張
対してセネットは、この二分化は過ちであると考える。これは本書の出発点であり、結論でもあるが、彼は「労働する動物」の次元にあるとされたモノを作ることに没頭する人間にも、たとえ明示的ではなくても、考える能力があると主張する。では、モノを作る人々、クラフツマンは、どのように考える能力を発揮しているのだろうか?結論はタイトルにもあるように「作ることは考えることである」ということなのだが、それが全11章を通して様々な角度から検証されていく。
クラフツマンの思考
本書では、クラフツマンの活動の場として、作業場という単語が度々出てくる。第二章では、作業場の原点として、中世の作業場について考察される。少し長くなるが、作業場の定義について述べられた箇所を以下に引用する。
他者に干渉されずに自らのニーズを満たす自律は、たしかに魅力的である。私たちは、自分で何かをすること、できるようになることに対して充足感を覚える。このことは日常の至るところで言えるだろう。自分で食事をつくること、魚を釣って捌いて食べることなど。他人にやってもらった時と自分で達成した時では、その感じ方は異なるものとなる。
しかし、クラフツマンの世界においては、自律だけでは、つまり有限な時間の中で自分一人では得られない技能がある。そうした技能や経験を既に有している上位者(=権威的存在)がいて、彼らから学びながらモノを作ることができるのが中世の作業場(ワークショップ)であり、これは現在の工房や大学の研究室などでも通ずる部分がある。
ではそこではどのようにして問題解決の道筋が伝授されるのかと言えば、それは必ずしも紙に記された言葉ではない。クラフツマンの知識の大半は、暗黙知という形で現れる。
クラフツマンは必ずしも技術や知識を言語化しない。というよりも、それらはそもそも言語化できないものであるのだ。研究者たちは、クラフツマンの技術や経験についてインタビューなどを通して調査をしようとしたが、それらはそもそも言語化できないものであり、それは彼らが考えていないからではなく、言語そのものの限界であるということだ。こうしてセネットは、モノづくりをするクラフツマンを「労働する動物」であるとしたアレントの主張に反論するのである。
哲学的地盤としてのプラグマティズム
本書では最後に、クラフツマンの哲学的故郷としてプラグマティズムに言及する。プラグマティズムとはアメリカで生まれた哲学の一派であり、それまで主流だったヨーロッパの絶対的な真理や正しさを求める哲学的姿勢から、真理ではなく「役に立つ」知識を探求しようとしたものである。1)
クラフツマンたちは、対象物と対話をし、その中で技術を成熟させていく。そこでは反復や内省といったことが行われ、クラフツマンは仕事をしながら判断をし、納得をしながら仕事を進める。仕事と思考が同時進行的に絡まり合いながら行われていくこと、このクラフツマンの姿勢はプラグマティズムと共鳴すると著者は考える。かくしてクラフツマンの思考のあり方を理解することによって、著者はアレントの主張に対抗しつつ、アレントの論では軽視されていたクラフツマンの主権を蘇らせようとする。それはモノづくりのプロセスとその目的や機能、影響に関する思考を分断させず、むしろ両者は強く結びつき合っているというものである。
参考文献
1)竹田青嗣・西研編著、現象学研究会執筆協力(2014)『高校生のための哲学・思想入門』筑摩書房